(前回はこちら。→遠吠え )
障害者施設に配属になった私は、そこでも事務職となっていた。
老人ホームと障害者施設とで別れ別れになっても、
ときどき加藤浩一(仮名)には会っていた。
しかし、じっくり話をするのはひさしぶりだった。
そこで私は、加藤の言葉の使い方に違和感を感じていた。
老人ホームでは見られなかった“言葉のきつさ”を感じたのである。
すこしやんちゃな男だったが、年寄りたちにはゆっくり、
はっきりと茶目っ気のある丁寧な話し方をしていた。
そういう印象を持っていた。
しかし、ひさしぶりに話をした印象が少し違う。
直感は当たっていた。
彼は、知的に障害のある利用者にきつく当たっていた。
彼はそれを“指導”と言った。
私から見れば、彼は変容していた。
たぶん彼の上司の影響があるからかもしれない。
加藤はその上司を尊敬していたのだと思う。
彼の上司は、施設が開設してからの古参で、
利用者たちのために何かしてやりたい、
という親分肌でありながら、
一方で彼らを子供扱いするところがあった。
経済的にも、障害年金しかない彼らのために、
企業から仕事をたくさんもらって、
彼らの生活を豊かにしてやる、という理念があった。
しかし、それに沿わない利用者に対しては厳しく接していた。
障害があっても差別されることなく仕事をしていこう、という発想はよいが、
それが押しつけになってはいけない、と私は思う。
ある日、私は加藤に「障害者でも高齢者でも同じだと思う。
教育的に厳しく関わることは間違っていると思う。」と話してみた。
しかし、彼は「それは違いますよ」と言った。
(つづく 。)