(前回はこちら。→苦い思い出 )
あれから2年後、私は事務職に配置換えになった。
いっぽうの加藤浩一(仮名)はというと、
高齢者介護に向いていない、という烙印を押され、
たった1年で同じ法人の障害者施設へ異動してしまった。
そのころ私は、「これからも福祉に携わるなら、
何か資格を持っていないと…」と思い、
社会福祉士の通信教育に取り組んでいた。
社会福祉の本をめくるたびに、私は加藤の言っていたこと、
実践していたことが間違いではない、と思うようになった。
いや、間違いではない、という消極的な評価ではなく、
加藤のほうが正しいのだ、という確信が持てるまでになっていったのだ。
それと同時に、この老人ホームは年寄りを大切に扱っていない、
と思うようにもなっていった。
私も、もしかしたら加藤と同じ頑固で一本気な男なのかもしれない。
私は、加藤を追い出したこの老人ホームの体質を変えたい、と思って、
立場もわきまえず、上司にいろいろな意見を言っていた。
特に介護の現場を知らない生活相談員、
介護現場に入ろうとしない介護長には強く意見を言った。
「私は、現場の苦労も努力も知っている」とばかりに、
会議やことあるごとに自分の信念を言っていた。
しかし、その頃の私は就職して4年目の、まだ若造である。
そして、そのころの私の立場は、現場の苦労もない、
現場がうまく回るように切り盛りする上司の立場でもない。
自分はただ、それらの苦労がない安全な場所から、
ただ吠えているだけだった。
私のことを「不満を言い立てるだけの人間」とみなされるまでに
時間はかからなかった。
事務職に就いて、たったの1年で私はまた異動になった。
配属先は…。
加藤のいる障害者施設だった。
(つづく 。)