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加藤浩一(仮名)と私は、特別養護老人ホームでの先輩・後輩だった。
私が社会人2年目のときに、加藤は介護系の専門学校から新卒でやって来た。
加藤は当時の介護業界にはいないタイプ。
芸能界でいえば、ロンブーの敦みたいな、ルックスも悪くないし、
明るくて、何せ若いし、介護職のおばちゃんから若い子まで
チヤホヤするタイプだった。
しかし、その好印象も長くは続かなかった。
彼は学校で介護知識も理念も学んでいたのだが、
それが当時の現場とはフィットせず、理想論ばかり並べるうっとうしい新人、
というレッテルを貼られてしまったのだ。
その頃は老人ホームにも男性が少ない時代。
同じフロアで仕事をしていた私は加藤の教育係、とまでは言わないが、
同性でもあり、仕事を教えたり、相談にのったりするように上司から言われていた。
加藤は良く言えば一本気な、悪く言えば頑固な男だった。
専門学校で習った理念に則って、現場でもそうありたい、と、強く思う男だった。
こんなことがあった。
ある日の夕食時間。
加藤は車イスに乗っているおばあさんの食事介助をしていた。
おばあさんは認知症もあり、食べるのがひどく遅い。
それを加藤がそばに座って、つきっきりで介助していた。
それを見ていた、ある女性介護士が私に「加藤くんに座ってないで、
お膳を片付けたりするように言って。」と言った。
私も少し気になっていた。この忙しい夕食の時間に、
ひとりのところに座って介助なんて…。と思っていた。
ただ、その頃にはすでに彼とは仲良くなっているし、彼の介護観、
仕事観に賛同できるところもあったので、
彼には彼なりの動機があってのことだろう、と思っていた。
ただ、あまりにもその人に時間がかかりすぎる…。
女性介護士に後押しされたこともあって、加藤に言ってみた。
すると彼はこう言って、私の助言を突っぱねた。
「ゆっくり介助すれば、全部食べられるんですよ。
第一、年寄りの目線に合わせて食べてもらうのが基本でしょ。」
今思えば、まっとうな話である。
さらに言えば、立ったまま食べさせると顎が上がって誤嚥する危険性が高まるのだ。
しかし、当時の私には理解できない事だった。
加えて、機嫌を損ねないように、やんわりと助言したことに対して、
反論してきたことにも腹が立った。
「そんなこと言ってるから浮くんだよ。その人はいいから片付けて。」と、
つい口走ってしまった。
そのあと、彼がどういう態度をしたか、忘れてしまっている。
今思っても、苦い思い出である。
彼はそのときの事を覚えているだろうか。
聞きたくても聞けない、昔の恥ずかしい思い出である。
(つづく 。)