「サッカーと生活」ネタで、もうひとつ。
その前に、もう一度エッセイの一部を。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
毎日の暮らしは退屈なくらいでちょうどよい。
「日常」が正解や理屈で割り切れたら息が詰まる。
「理」があれば成功できるゲームなど大衆にはむしろ
重圧だ。 (Number750 日本サッカーマイ・ベストゲーム)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
サッカーのことはあまりよく知らないんですが、
ただがむしゃらにボールを蹴りあっている
わけじゃないんですね。
サッカーにも攻撃の仕方、守り方の決まり。”戦術”があります。
現代のサッカーは”組織的なサッカー”ですね。
サッカーの戦術も医療と同じように日々進化しています。
ただ、”組織的なサッカー”が必ずしも喜ばれていない、
という側面もあります。
このエッセイを書いた人は、まさにその”戦術”という
>正解や理屈
ばかりのサッカーが
>息が詰まる
と表現しているのですね。
さて、話は変わって、なぜこのように戦術を考えるのか、
というと、「勝利するため」ですよね。
そして勝利するためには、ゴールが必要なのですが、
「戦術を駆使して論理的にゴールを狙う」他にも
ゴールのパターンがあると思います。
1つは、個人技。
例えば、
華麗なドリブルで5人抜きしてゴ~~~ル!
例えば、
虹のような放物線を描くフリーキックでゴ~~~ル!
こんな個人技は、組織化されたサッカーを
一発で吹き飛ばしてしまいます。
これは、理屈なしに痛快ですね。
そして、もうひとつは
たまたま^^;
「伊東選手がゴール前に詰めてたから守備が慌てたんだよ」って、
いう言い分もありますよね。
「諦めずに走っていれば、報われるんだ。」
「だから諦めずに走るんだ。」
「気持ちが大切なんだよ、気持ちが。」
もちろん、そういう前向きな気持ちが大切なのは否定しないのですが…。
そのことは後で触れることにして。
>「理」があれば成功できるゲームなど大衆にはむしろ
重圧だ。
サッカーが面白いのは、「理」だけでは防げない個人技や偶然が
起こるからこれだけ世界に愛されるスポーツになったんじゃないか、
と思います。
さて、いよいよ本題に入りますけど、
まとめてみると、ゴールというのは、
1.戦術を駆使した理屈のゴール
2.個人技のゴール
3.たまたまゴール
これくらいに分けられるかな、と思います。
私は何度も何度もしつこく、
「自立」を目指す目指すために「論理を造っている」ということを書きました。
それを「1.戦術を駆使した理屈のゴール」としましょう。
ゴールするために、勝利するために決められた
攻め方、守り方がサッカーの世界での「論理」です。
では、2.は何でしょう?
伊藤さんの井戸端元気です。
私は「あれは真似できない」と書きました。
あれはマラドーナであり、中村俊輔です。
伊藤さんと同じ事をしようと思えば、
マラドーナのような能力が必要なのです。
私は、ああいう人たちを「カリスマ介護士」と呼びます。
凡人には真似できない個人技を持っている人たちです。
では3.は?
卓越した個人技もなければ、
ゴールまでの道筋を論理的に組み立てて、
その目標に向かっていけない人、事業所のことです。
それはまるで、サッカーを始めたばかりの
子どもたちがボールに群がって
蹴り合いしているようなもんです。
いうまでもなく、これは素人のサッカーです。
そして、子供たちのサッカーにお金を払って観戦する人が
いないように、こういうサービスにはお金を払う価値はありません。
ちょっと辛口ですか?^^;
だから、1.が必要なんですね。
マラドーナではない、カリスマ介護士ではない、多くの人たちが
ゴールを奪おうと思えば、戦術を身につける必要があると思うのです。
「論理は必要」と、力説する
理由はそういうことです。
伊東選手の諦めなかった前向きな姿勢は評価に値しますが、
毎回毎回、同じ結果が得られるとは限らない。
気持ちだけではダメ。論理に裏打ちされた”戦術”がなければ…。
”たまたまゴール”の例として挙げた日本代表も、
気持ちだけでなく、戦術や組織的なサッカーをしますから。
それらを身につけて、なお、気持ちを持って取り組む。
自分はカリスマ介護士でない限り、論理的な介護
を目指すことが必要だと思います。
そうすれば、自立へのゴールが近づくはずです。
↓↓↓

その前に、もう一度エッセイの一部を。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
毎日の暮らしは退屈なくらいでちょうどよい。
「日常」が正解や理屈で割り切れたら息が詰まる。
「理」があれば成功できるゲームなど大衆にはむしろ
重圧だ。 (Number750 日本サッカーマイ・ベストゲーム)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
サッカーのことはあまりよく知らないんですが、
ただがむしゃらにボールを蹴りあっている
わけじゃないんですね。
サッカーにも攻撃の仕方、守り方の決まり。”戦術”があります。
現代のサッカーは”組織的なサッカー”ですね。
サッカーの戦術も医療と同じように日々進化しています。
ただ、”組織的なサッカー”が必ずしも喜ばれていない、
という側面もあります。
このエッセイを書いた人は、まさにその”戦術”という
>正解や理屈
ばかりのサッカーが
>息が詰まる
と表現しているのですね。
さて、話は変わって、なぜこのように戦術を考えるのか、
というと、「勝利するため」ですよね。
そして勝利するためには、ゴールが必要なのですが、
「戦術を駆使して論理的にゴールを狙う」他にも
ゴールのパターンがあると思います。
1つは、個人技。
例えば、
華麗なドリブルで5人抜きしてゴ~~~ル!
例えば、
虹のような放物線を描くフリーキックでゴ~~~ル!
こんな個人技は、組織化されたサッカーを
一発で吹き飛ばしてしまいます。
これは、理屈なしに痛快ですね。
そして、もうひとつは
たまたま^^;
「伊東選手がゴール前に詰めてたから守備が慌てたんだよ」って、
いう言い分もありますよね。
「諦めずに走っていれば、報われるんだ。」
「だから諦めずに走るんだ。」
「気持ちが大切なんだよ、気持ちが。」
もちろん、そういう前向きな気持ちが大切なのは否定しないのですが…。
そのことは後で触れることにして。
>「理」があれば成功できるゲームなど大衆にはむしろ
重圧だ。
サッカーが面白いのは、「理」だけでは防げない個人技や偶然が
起こるからこれだけ世界に愛されるスポーツになったんじゃないか、
と思います。
さて、いよいよ本題に入りますけど、
まとめてみると、ゴールというのは、
1.戦術を駆使した理屈のゴール
2.個人技のゴール
3.たまたまゴール
これくらいに分けられるかな、と思います。
私は何度も何度もしつこく、
「自立」を目指す目指すために「論理を造っている」ということを書きました。
それを「1.戦術を駆使した理屈のゴール」としましょう。
ゴールするために、勝利するために決められた
攻め方、守り方がサッカーの世界での「論理」です。
では、2.は何でしょう?
伊藤さんの井戸端元気です。
私は「あれは真似できない」と書きました。
あれはマラドーナであり、中村俊輔です。
伊藤さんと同じ事をしようと思えば、
マラドーナのような能力が必要なのです。
私は、ああいう人たちを「カリスマ介護士」と呼びます。
凡人には真似できない個人技を持っている人たちです。
では3.は?
卓越した個人技もなければ、
ゴールまでの道筋を論理的に組み立てて、
その目標に向かっていけない人、事業所のことです。
それはまるで、サッカーを始めたばかりの
子どもたちがボールに群がって
蹴り合いしているようなもんです。
いうまでもなく、これは素人のサッカーです。
そして、子供たちのサッカーにお金を払って観戦する人が
いないように、こういうサービスにはお金を払う価値はありません。
ちょっと辛口ですか?^^;
だから、1.が必要なんですね。
マラドーナではない、カリスマ介護士ではない、多くの人たちが
ゴールを奪おうと思えば、戦術を身につける必要があると思うのです。
「論理は必要」と、力説する
理由はそういうことです。
伊東選手の諦めなかった前向きな姿勢は評価に値しますが、
毎回毎回、同じ結果が得られるとは限らない。
気持ちだけではダメ。論理に裏打ちされた”戦術”がなければ…。
”たまたまゴール”の例として挙げた日本代表も、
気持ちだけでなく、戦術や組織的なサッカーをしますから。
それらを身につけて、なお、気持ちを持って取り組む。
自分はカリスマ介護士でない限り、論理的な介護
を目指すことが必要だと思います。
そうすれば、自立へのゴールが近づくはずです。
W杯イヤー。日本、頑張って欲しいですね!
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