「自立支援を目指す」ことで「効率化が図れる」、ということを前回書きました。
今日は「自立支援を目指す」とこんな成果が期待できる、ということを書きたいを思います。
何度も同じことを書いてしまいますが、これは私の主張がブレてしまっているためだと思います。私の本心は「自立支援を目指すことはOK」という立場なのに、「自立支援NO」の結論を導こうとするからです。
まあ、ぐだぐだ言ってないで書いていきましょう。
医療や介護を例に挙げて書きたいと思います。
ひとつめは「効率化が図れる」ということです。
社会保障は「ひとりでは生活ができなくなった人を助けるもの」です。
つまり“自立した生活ができなくなっている状態の人”が社会保障の対象になる人です。
それが、社会保障の力を借りて“自立できるようになった”ときは、
社会保障が必要なくなります。
そして社会保障の費用が増大しなくてすむ、スリムになる、効率化が図れる、ということです。
次には「専門性が高まる」ということを挙げておきましょうか。
医療は「病気を治す」ことを目標に掲げ、現在も進歩しています。
その昔、まじないや祈りによって病気を治そうということもあったようですね。
それに比べると、人体の構造や働きを調べ上げ、病気になる原因を明らかにし、
その治療法を追求する。そのおかげで医学は細分化され、発展していきました。
例えば、内科は呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、神経内科などに分かれていますね。
それぞれの専門分野に分かれて、その専門性を追求していっているのです。
「専門性が高まる」と「その分野が発展する」ということが言えると思います。
それは科学的で論理的な世界です。
そして、3つめは、なにより「その専門性を患者さんが望んでいる」
ということじゃないでしょうか?
これはとても大きなことだと思います。
私たちが病気を患ったとき、「病気を治したい」と思いますよね。
「治らなくて良い」と思うことは、ほとんどないんじゃないでしょうかね。
これを介護に当てはめて考えてみます。
介護においても、「隅々まで体を洗って欲しい」、
「トイレに行くのが面倒だから、下の世話をして欲しい」と、
喜んでヘルパーを迎えてくれるお年寄りはいないでしょう。
個人的に趣味として喜ぶ人は別として…(笑)
それより、「人の世話にならずに人生を全うしたい」
「自分のことは最期まで自分でしたい」という考え方のほうが自然ですよね。
そんな期待に応えるのが、「介護における自立支援」の目標だと思います。
さて、次に「介護における専門性」ですが、
もちろんこれは医療に比較できるほどの専門性が介護には備わっていない、
と考えられます。現在模索中、でしょうか。
例を挙げていうと、「介護予防に効果がある」ということで
「運動器」「栄養」「口腔」のケアに対して報酬が得られるということがありました。
これらのケアには「自立支援にむかう根拠」が示されました、内容はともかく。
その他にも「トランスファーの技術」だったり、「認知症のケア」だったり、
「バランスのとれた食事」だったり、介護にはいろんな分野の知識や技術が必要です。
でも、介護特有の専門性というか、いろいろな分野の専門性を総合しているのが
「介護」なのかもしれません。
話がそれてしまいましたが、そういった専門性を追求しようとするときに、
「自立支援に向けて」という目標が定まっていると、
その目標に向けたケアが行われることが期待されます。
そして、要介護状態だった方が少しでも自立できて、
介護保険がいらなくなり、介護保険費用が少なくて済む、ということです。
以上、「自立支援を目指す良いこと」理由を書いてみました。
あなたはどう思われますか?
次回、とうとう「自立支援の問題点」へ。
(続く
。)
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