昨日の酒が残っていてボーッとしたまま、
新規利用者の家へ訪問に行きました。
(飲み過ぎはよくありませんよ、みなさん^^;)
デイサービスの担当者を交えて担当者会議を開きました。
Aさんは買い物帰りにこけてしまって、それ以来2ヶ月間閉じこもって
すっかり足が衰えてしまっていました。
Aさんは耳が遠く、会議の話の一部始終は分からなかったのですが、
娘さんが「来週からデイサービスに行こうね」というと、
Aさんは急に怪訝そうな顔になって「行きたくない」と首を横に振りました。
ボーッとしていた私は、その様子をフワーッて眺めながら「そうか…。」と思いました。
事務所に帰るとほどなく、高杉主任(仮名)がやってきました。
高杉主任はうちの事業所が併設している診療所の看護責任者です。
「大変だわ、Bさんの血圧が急に下がってきた。」と慌てていました。
入院中のBさんは週末から意識がなく、いつ逝ってもおかしくない様態でした。
「薬剤の指示をどうしたらいいか聞いてみないと…」と、
ドクターへ指示を仰ごうとしているところでした。
まだボーッとしていた私は、その話を聞いて「やっぱりそうか…」と思いました。
やっぱりそうなんです。でも、そうなんですよ。誤解を恐れず言うなら、
最近の年寄りは「うまい具合に死ぬこと」ができなくなってきているんですね。
デイサービスを始めようとしているAさんは、
衰えている足を再び元に戻すためにデイサービスの利用を勧められていました。
様態の悪いBさんは、血圧を安定した状態で維持するために
薬剤を検討されていました。
この2つの事例には、どちらも「あるべき望ましい姿」というものがあって、
そうならないためにサービスを受ける、ということで共通しています。
その「あるべき望ましい姿」とはどんな状態か、というと、
Aさんでいえば、日常生活に支障なく歩くことができる。
Bさんの場合は血圧が安定して生命を維持し続けられる、ということでしょうか。
いまの医療や介護の多くは、そのような視点でサービスが行われています。
このことに問題提起をしているのが、先日研修会でお招きした「井戸端げんき」の
伊藤さんなんですね。
(つづく。)
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