ふたつめの話は僭越ながら、
私がむかし、担当していた人のお話を。
10年くらい前のことです。
私は知的障害者通所授産施設に勤めることになりました。
通所授産施設というのは、地域の障害者の皆さん
(私たちは「仲間」と呼んでいました)に施設にきてもらい、
仕事をしてもらうところです。
仲間たちが家から通ってその施設で仕事をする、ということです。
送迎もしますので、デイサービスみたいなものと
考えてもらったら分かりやすいかもしれません。
新しく施設がオープンするので、
そちらに勤めることになりました。
和田さん(仮名)は53歳の男性。
山あいの小さな集落に住まいがありました。
和田さんは学校を卒業しましたが勤めるところがなく、
ずっと両親のもとで生活していました。
20歳代も30歳代も40歳代も家にいて、
近所をブラブラしていました。
人なつっこい性格で、小学生が学校から帰ろうとするところを
声をかけたり、ついていったりと、気ままな生活でした。
家に帰ると両親がいて、ご飯も炊いていてくれるし、
和田さんにとっては何不自由ない生活だったのです。
そんな和田さんの家から1キロメートルほど離れたところに、
私が勤める施設がオープンしました。
和田さんのお父さんも「子どもの出かけるところができた」と、
その施設に通ってくれることを望んでいました。
お父さんにとっては念願の施設だったようです。
しかし、お父さんの期待に反して、
和田さんは2、3回施設に足を運びましたが
長続きしませんでした。
長年の気ままな生活が抜けなかったのです。
9時に施設に行って仕事して、17時に帰る。
そういう習慣を身につけることが苦痛でした。
私は何度も自宅へ通って、和田さんと一緒の時間を過ごしましたが、
最後まで和田さんは通うことを拒みました。
お父さんは落胆しました。
何度も足を運んだ家だったので、
和田さんとはもちろん、お父さんともいろんな話をする仲になっていました。
ある日、お父さんがポツリとこう言いました。
「私たちが逝ってしまったとき、この子はどうなるんだろうな」と。
お父さんもお母さんも80歳を超えていました。
お父さんは喘息があり、体調はよくありませんでした。
「私たちが亡くなったら、施設だろうけど」と、お母さんは言いました。
私はこの頃、成年後見制度を知りませんでした。
だから、ご両親を安心させてあげることができませんでした。
現在、和田さんとご両親がどうしておられるのか、知りません。
でも、こうして時々思い出します。
今、和田さんは、そしてご両親はどうやって暮らしているのでしょうか。
障害のある子供を持った親は、自分たちが亡くなった後のことを
例外なく、皆さん心配されています。
そんな人たちが親亡き後に困ってしまわないために
成年後見という制度があるのですね。
こういうときに成年後見人は、和田さんの身になって
財産を管理したり、施設に入らないとやっていけないのか、
それともヘルパーなどの支援で在宅での生活が続けられるのか、
考えていくのでしょうね。
(つづく 。)
次回は、成年後見制度の課題を!