(前回はこちら 。)


さて、認知症の話に戻りますが、認知症は「記憶障害」が主症状ですが、もちろんその中にも「意味記憶」が障害されることはあり得るでしょう。

私は、認知症は「喪失し、混乱すること」によって、引き起こされる症状ではないかと書きました。



無意識的に使っている「意味記憶」が喪失された。そんなことになったら、私たちはどうなるだろう、ということを想像してみたのです。



慣れ親しんだ文字や言葉が分からない。ブログの文字が読めない。パソコンのキーボードが何をするものか分からない。パソコンの電源を入れる方法が分からない。目の前にある四角いもの(モニターのことです)がなんだか分からない。

机の上に積み重なっている書類が分からない。それが書類であることも分からない。紙であることが分からない。あの薄い、四角い、なにやら字が書いてある、それらが何をするものか分からない。「薄い」「四角い」「字」というものの意味さえも分からない。

腕時計も何をするものか分からない。時間を知るものなんて、想像もつかない。腕にまとわりついて煩わしい。

暖房が効きすぎて暑い。気分が悪い。どうしたらいいのか分からない。



そうやって次々にやってくる状況(課題)に対して、われわれは何らかの行動をとることを迫られています。でも、その場にあるものの意味が分からないときに人はどうなるか。



中国に行って、見知らぬ中国人に早口でまくし立てられたとき、私たちはどのような態度をとるでしょう。

そういう状況が、今も5分後も明日もあさっても、絶え間なく続いていくとしたら、あなたはどうしますか。



その状況にあった行動をとらないと、バカにされる、叱責される、笑われる、見放される…。



例えば、鉢の土を植物を育てるものだという意味が分からずに食べてしまう人。

例えば、トイレットペーパーをおしりを拭くものだと分からずに、引っぱってみるとどんどん出てくるので、出し続けてしまう人。

例えば、自分の排便を自分の体から出た排泄物だと分からずにもてあそぶ人。
例えば、出された食事を、食べる物だと分からずに、いつまでもスプーンでこねくりまわす人。
例えば、言葉は自分の気持ちを伝える手段だと分からずに、どこかに向かって一人言を繰り返す人。

そういう不快な経験を繰り返すうちに、やがて立ち尽くし、行動することが出来なくなり、頭を抱えてうずくまってしまう。



その人たちが、すべての物の意味が分からない世界で、

どれだけ不安な気持ちを持って過ごさなければならないか。

これが、死ぬまで続くのですよ。

時が経つことさえも分からない。


恐くないですか。



そういうことがイメージできたら、介護する私たちの姿勢は自ずと定まってくると思います。

どうぞ、重度の認知症の人たちのことを「何も分からなくなってしまった人」などと、簡単に片付けないようにしましょう。



…もしかして、あなたにも将来、訪れることかもしれないですし。


(続く。)






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