これで、3回目の「0歳児の太鼓」ネタです。
さて、人間は生まれたときからいろいろな経験をとおして、物の意味を知っていきます。0歳児が太鼓を叩くことも、はじめから、それが太鼓であることを知っているわけではなく、経験を通して太鼓であることを知ります。
この世の中すべてのものを知るのは、経験です。
見る、聞く、触れるなどの五感を通した経験です。
これをやや強引に認知症に当てはめて考えてみたいと思います。
認知症の主症状は「記憶障害」と言われています。いわゆる「物忘れ」といわれるものです。
そして私は、認知症は「喪失していくことの恐怖・混乱」の結果が、認知症の症状として現れるのではないか、と思っています。
さて、その「喪失する」ということですが、重度の認知症の方たちは、物の意味が分からなくなっているからああいう行動を起こされるのだろう、と思っています。
長期記憶のひとつに「意味記憶」をいうものがあります。
「意味記憶」とは何か。少し、文献を紐解くと。
「読むという行為は、多くの読者にとっておそらく非情に慣れ親しんだ行為であるため、思い出すという作業をあまり意識せずに、かなり自動的に文章を理解できているような印象を持つかもしれない。しかし、もしも文字や単語の読み方を思い出すことができなければ、当然、その内容を理解することはできない。(中略)われわれが日常生活において常日頃から行っている行為のほとんどは、文字や単語などの知識を自動的に思い出す能力によって支えられていると言える。このようなわれわれの持つ「知識」に関する記憶を意味記憶と呼び…」(『認知科学への招待』(研究社)P32)
ということだそうです。
例えばこのブログを読むことも、日本語を知識として知っているからできるのですが、そのことをほとんど意識しないまま、私たちは読む行為を行っています。
また、言葉や文字も小さい頃から学んだ経験があるからこそ、読んだり、しゃべったりすることができるのです。
それも、日本で生まれれば日本語を、中国で生まれれば中国語を、イギリスで生まれれば英語を身につけます。
0歳児が太鼓の意味を見つけることも、日本語を身につけることも、「意味記憶」として獲得して、日常生活の中では無意識にそれに支えられて生活しています。
(続く 。)
「記事、よかった!」という方、クリックを。