「こうしたい、ああしたい」と、自分のことは自分で決める。
この当たり前の選択をおろそかにしてしまうことがあります。
認知症の人の場合は特にそう。
選択や判断を配偶者、子ども、兄弟姉妹、などに委ねてしまうことがとても多いです。
「ちゃんと判断できないから」と、まわりは思ってしまいますが、
実際に本人もその場にあった行動がとれないことが多いので、そう決めつけてしまう。
そんな人のために「成年後見」なる制度もあるのですが、
うまい具合に活用されていませんね。
今日こんなことがありました。
数ヶ月前から「目が見えんようだ。」と相談していた佐藤さん(仮名)。
眼科を受診しました。今日は佐藤さんの妻とともに眼科受診に同行しました。
先生から「両目ともに強い白内障があります。
見えるようになるには手術が必要です。
ただ、認知症があるので、手術には時間がかかるでしょう。
希望されるなら手術の日にちを決めますが。」と言われました。
佐藤さんの妻は「もう歳だし、便所にも行くし、
手術まではいいような気もするがなあ。どうしようか。」とため息をつきました。
たしかに、見えにくいな、と感じたのは、
ご飯をこぼしてしまうことが多くなったこと。
佐藤さん本人が「見えん、見えん」と口にするようになったこと。
ほかの日常生活は、さほど問題はありません。
「病院にかかりっきりにもなれんし。どうしたもんかなあ。」と繰り返す妻。
確かにこの田舎では、車で片道30分もかかる病院へ見舞いに行くのは大変な苦労です。もちろん、妻は車を運転しません。
「手術は本人の負担にもなるし、親戚のもんと相談してみます。」
と妻は話し、診察室を出ました。
待合室で待っていた佐藤さんのところへ行きました。
「佐藤さん、お待たせしました。……僕の顔、見えますか?」と言うと、
佐藤さんは一瞬顔を上げ、私のほうに顔を向けて「見えん…。」と
ひと言言ったまま、顔をうなだれてしまいました。
私と佐藤さんとの距離は50㎝もないのに。
見えないことは、つらいだろうな。
私は、妻に「手術してあげられればいいですけどね。」と、
言って病院を後にしました。