今日は1日、お宅訪問をしていました。
TVでやるような豪邸のお宅訪問ではありません。
月イチの訪問です。
94歳のおじいさんのところに行って1時間近くしゃべっていました。
というより、話を聞いていました。
「おお~、よお来たな。」から始まり、
「もう12月、早いですねえ。」と私が言うと、
「そうだなあ。世話になるようになって、どれくらい?
5、6年になるか。わしも、しわい(長生きした、という意味)け。」
と言いました。
そこからどんな話が始まったか、というと、戦争の話。
オリエンタルラジオも足元にも及ばない「武勇伝」です。
「あの時はよう生き延びたわ。もうダメか、と思うことが何度もあった。」
「○○から○○まで、退却しただ。1年もかかってだぞ。中国の道は舗装したところがどこもない。ぬかるみでこれぐらい(膝のあたりを指す)まで、はまってなあ、普通1日で行けるところを10日経っても行けんがな。」
「騎兵隊だったけどな、馬を木につないで丘に上がってメガネ(双眼鏡)で様子を見ようとしたときだった。少し歩くと後ろのほうで大きな音がした。「なんだろう」と思って振り向いたら、馬が吹っ飛ばされとった。」
「馬に乗っとってもなあ、たてがみのところを弾がかすめたり。でも馬はたてがみのところは少々あたっても大丈夫だけ。」
などなど。
私は「へえ~。」「はあ~。」「ふ~ん。」の連発。
ときに「それで、それで。」と相づちを打って聞いていました。
兵隊として戦地に就いた人たちの話は、本当に武勇伝が多いです。
戦争の話、と聞いて眉をひそめる人もいらっしゃるでしょう。
愛する夫や子どもを戦争で亡くし、その後大変な苦労をされた人生を送っていらっしゃる方もいらっしゃると思います。
戦時中に子ども時代を過ごし、貧しい生活を余儀なくされて、苦い思い出しかない人も多いと思います。
戦争は悲惨なものだ、ということは重々承知です。
だからといって、戦争の話をタブーにすることには違和感を感じます。
だって、おじいさん、「こんな話をするのはひさしぶりだった。誰もこんな話を聞きたがらない。」と言ったんですから。
苦労してきた人に配慮する、ということもあって話を控えておられるのでしょうか。
でも、自分が体験した強烈な思い出を話せないこと。
このもどかしさを解ってあげることはできませんか?
戦地で戦った人たちの話を生で聞くことは、
もう間もなく、できなくなるのですよ。
もったいないと思うのは、私だけでしょうか?
「批判を承知で、おじいさんのために書きました」
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