その娘さんは、介護のために帰郷しました。
40年近く都会暮らしをしていた娘さんでした。
田舎には似つかわしくない髪型や服装、アクセサリー。
ひとことで言うと「ケバイ」。
ちょっと私の苦手な人です。
娘さん、お父さん、お母さん3人の生活が始まりました。
お父さん、お母さんともに要介護認定を受けています。
「ここままだと2人とも施設かなあ。」と心配していましたが、
娘が帰ってきて少し安心していました。
しかし、しばらくしてお父さんは重度化して老人ホームへ。
お父さんの夜間のトイレ介護の負担が増えて、
お母さんが根を上げた結果でした。
デイサービスの職員と2人で、
「何で娘が帰ってきたのに、施設にやってしまったのかな」
と話しました。
娘は何のために帰ってきたのか。介護を手伝っている風もない。
実は、おかあさんも「あの子は冷たくて、頼み事もできない」と
言っていました。肩身を狭くして暮らしています。
家のことも母親から全部取り上げてお母さんはする事がない。
ある日、お母さんから「お父さんに会いたいから、
その施設のデイサービスを計画して欲しい」と言われました。
「娘さんは連れて行ってくれないの?」と聞くと、
「やっぱり頼みにくい」と。
(面会に連れて行ってあげるくらい、娘さんにできないかな)と思い、
娘さんにお母さんの思いを伝えると「えー。」とびっくり。
あれほどケンカしていた母がそんなことを言うなんて、と言いました。
娘さんはこんな話をしてくれました。
「私が小さかった頃、父と母は本当に仲が悪くて毎日けんかしていました。
それでも、私が老人ホームに見舞いに行くと、
お父さんは「お母さんは元気か」と心配するけど、母は何も言わなかった。
そんな気持ちがあるなら自分の小さかった頃に
仲良くしてくれたらよかったのに。
少しだけ母を許す気持ちになりました。」と言いました。
ショック…。えっ、この娘さん、母親をそんなに憎んでいたのか…。
外見ぽっちゃりの、誰にも笑顔の優しい気配りのできる
おばあさんだと思っていたのに、そういう一面があったか。
それと娘さん自身も持病を患っていて、
それで介護ができないこともお話ししてくれました。
しかし、娘さんの子供時代の心のキズは分からなかったなあ。
でも、ギスギスした関係で一つ屋根の下で
母親と娘がこれからも暮らしていくか、と思うと、
胸が苦しくなりました。
「なんとか理解し合って、暮らしていければいいなあ」。
いずれにしても、どんな介護者でも悪者にしてはいけないなあ、
事情があるんだなあ、と思いました。
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