このお話をされたのは、高柳和江先生です。
高柳先生は、小児外科医です。
先生が「医学」のなかに「笑い」を取り入れたい、と考えたのは、
中東のクウェートで医療に関わったことがベースになっているようです。
まずは、そのお話から。
クウェートは中東にあり、石油で富を築いた国です。
クウェートの病院は砂漠の中に植林して森を作り、
その広大な森林の中に大きな病院を作る。
医療は最新の医療、ドクターも世界各国から
優秀なドクターがやってくるそうです。
高柳先生はその病院で約10年間、小児外科医療をされました。
高柳先生は、その10年間のあいだ、
日本の病院とクウェートの病院を比較して、
日本の病院の寂しさ、冷たさを感じられたそうです。
病院の環境が患者に冷たかったら、治る病気も治らない、
そう感じられたそうです。
それはこんなエピソードに遭遇したからです。
生まれつき重い病気を持った赤ちゃん。
このような子どもに接する周りの環境が
クウェートと日本とでは全く違う、と。
クウェートでは、「生まれてきたんだから、大丈夫。絶対治る。」
と思って医療にあたる。
一方日本では、「何でこんな病気を持って生まれたのかね。
万が一の時は、今度は丈夫な赤ちゃんを。」と言う。
周りの様子を察してか、
日本の赤ちゃんは生きることを諦めるのではないか、
というのです。
なぜ、こんなことを思ったか。
クウェートと日本の宗教観の違いからではないか、
と高柳先生は考えました。
そしてこんなエピソードも。
7歳の男の子。らくだの背中から落下して、
頭を強く打って頭蓋骨骨折、
大脳がはみ出していたそうです。
一応手術はしましたが、
先生は「手を尽くしましたが、ダメでした。」と
一緒に病院に来た父親に言ったそうです。
一人息子の死。
先生は父親がどんなことを言い出すか、
とても心配だったそうです。
父親はどういう態度をとったか、というと、
天に向かって手を広げ、
「神様ありがとうございます。
息子といっしょに過ごした時間を与えてくださり、
ありがとうございます。」と言ったそうです。
先生は、びっくりしました。
クウェートでは、
子どもを授かるのは神様が自分たちに
子どもを預けてくれた時間だと。
だから、子どもが亡くなったのは、
また神様の元に戻ったのだ、
という解釈をするのだそうです。
だから、子どもはこの世にいなくなっても、
神様の元に戻っただけなのだと思うのだそうです。
さっきの重病の赤ちゃんの話に戻りますが、
クウェートでは生まれたこと自体が素晴らしいこと。
神様の元に召されるまでは、こっちでやっていきますよ、
といういわば、宗教の力で前向きな姿勢でいられるのだと思います。
こういう感覚は、以前私が記事にした 死生観と通じるものがあるなあ、
と思いました。
日本は宗教心が薄い、と言われますが、私はそうは思いません。
しかし、死ぬことに対する構えというものは、
やはり日本人は準備ができていないなあ、と感じるのです。
話は変わりますが、
同じ病院に勤務していた
イギリスから来た先生の診療する姿に
高柳先生は感銘を受けたそうです。
その先生は、どんな子どもがやってきても、
嫌な顔ひとつせず診療してくれる。
砂漠の砂まみれになった
布きれ一枚しか巻かれていない子ども。
地元の医師でも避けてしまうような
そんな子どもたちにも笑顔を見せて、
ハグをして「よく来たな。もう大丈夫だぞ。」と
声をかけてやるそうです。
その対応を見て子どもも親も安心します。
そして病気が治っていく。
クウェートでの経験から、
前向きな力が病気を治す原動力になるのではないか、と思った高柳先生は、
日本の病院でもそのような取り組みができないか、
と考えた訳です。
(続く。)
「記事、よかった!」という方、ワンクリックを。
↓↓↓
人気ブログランキングへ