先週のことだ。



地域包括支援センターから電話があった。

「要支援の人が要介護になったので(重度化したので)、

担当をお願いします。」とのこと。


私は「明日、会議で検討しますから、

その人のことが分かるように、

資料を見させてください」とお願いした。





次の日、持ってこられた資料を見て、

分からないところを電話で質問した。

すると、その担当者も分からないところが多く、

「ちょっと待ってくださいね。」が何度も続いた。


しびれを切らして、

私も、少し冷たい言い方になったかもしれない。

「じゃあその人の今までの経過記録を

持っていけばいいんですね!」と

少しキレたような口調で、その担当者は電話を切った。








知らないことは、「知りません。」

でいいのになあ、と思う。

担当者であるがゆえに「何でも知っていないといけないのだ」と

思ってしまったのかなあ。


まあ、「利用者のこと、全て知っています」と

いうふうになれれば一番だけど。

それを目標にすることは良いことなのだが。






私は、野球をしている長男に、

口すっぱくこんなことを言っている。

「野球でミスはつきものだ。

エラーがあって当たり前。

問題はエラーした後のカバーをどうするか。

これが大事だぞ。」と。




そうだ。

失敗した時は頭を抱えるんじゃない。

人のせいにもしない。

次の行動への動機付けにすればいい。

そして、カバーが済んでから

「なぜ失敗したのか。

どうしたら失敗しなくて済むのか。」を考えればいい。






世の中のこと、

全て知っている完璧な人間なんていない。

それに近づきたい、という

意欲を持つことは大切だが、

その限界を自覚しておくことも大切だ。

知らなければ、知らないと素直に言う。

そして、訊ねる。調べる。


そうすることで、

どれだけ自分が向上できることか。

知識や経験が増えて嬉しいじゃないか。

知らないことを恥と思い、

その反応として、怒る、くよくよする、知ったかぶりをする。

そのことがいかに愚かなことか。

自分の成長の芽を自分でつぶしている。



「知らない」「分からない」ということを

「成長するチャンス」と思って、

これからに活かしていこう。