2日間のセミナー、今終わったところです。
裏方に徹する予定だったのに、
光栄にも午後の進行を仰せつかるハメになりました。
(゜д゜;)
発表した山本くん(仮名)も、
よく頑張りました。
お疲れ様でした。
(山本くんのエピソード、
例えば、こちら 。)
ところで、
このセミナーの特長は、
「ケアの力で認知症を治す」
というものです。
これについてのイントロを
前回書きました。(それはこちら 。)
少し書き足りない、と思って、
もう少し、追加したいと思います。
「認知症は脳の病気です。」
この言葉が多くの誤解を生み、
家族やご本人を混乱、不安にあおり立てている、
と書きました。
脳の病気ではない、ということの根拠
として、
いくつかの例があります。
例えば、
突然の入院をした。
わずか数日で認知症が一気に進んでしまった。
あるいは、
長年連れそった
夫(妻)を亡くして、
その日の通夜からおかしな行動が見られた。
こういうエピソードを
聞いたことがある、目の当たりにした、
という方がいらっしゃると思います。
これはいったいどういうことなのか。
「脳の病気」として紹介される認知症として、
代表的なのが、アルツハイマー型認知症です。
アルツハイマー型認知症は、
脳の萎縮や
βアミロイドという、
老人斑のようなシミが、
脳の中に貯まって、それが原因で
認知症となる、というものです。
では、さっきの2つのエピソードは、
アルツハイマー型認知症の原因といわれる
脳の萎縮やβアミロイドが
わずか数時間、数日のうちに、
急に貯まった、ということなのか。
では、もうひとつ代表的な認知症、
脳血管性認知症という
血管が詰まる、血液の流れが悪くなる、などして、
脳の細胞が障害されて認知症になってしまったのか。
…わずか数時間、数日のうちに。
理屈が通らないように思います。
恐らくさっきの2つのエピソードから、
共通して言えることは、
認知症症状を出現させたのは、
本人を取り巻く環境が変化したため
ではないか、と推測されます。
また、こういった研究もされています。
外国(アメリカだったでしょうか)の修道女、約700名に
生い立ちから亡くなるまで、
その人の生きてきた過程を
調べる研究があり、今も継続中です。
亡くなったシスターは、
同意によって解剖されています。
そして数名のシスターたちは、
脳の萎縮や
βアミロイドの沈着が見られたにも関わらず、
認知症症状が出なかった。
日常生活を介助なしで普通に送ることができた、
ということです。
これをどう理解すればよいでしょうか。
そもそも、どんな理由で脳の萎縮やβアミロイドが
異食や、徘徊や、物取られ妄想や
失禁、暴力など、
さまざまな認知症症状を引き起こすのか。
まったく説明することができません。
ですから、
「認知症は脳の病気です。」というのは、
全否定はしませんが、
それだけを強調しても意味がない。
「脳の病気」と思って、
それで納得した、割り切った。
という人の場合はそれでも良いです。
でも、反対に「病気の人間に対して自分はなんて冷たいんだ。」
と自己嫌悪に陥る家族もいるかもしれません。
それどころか、
「病気だから理解してあげて」と家族などに
強制している可能性もあります。
オーバーな言い方をすると、
追い詰めている可能性があります。
また、「認知症は進行する脳の病気だ」という宣伝を聞いて、
「物忘れがひどくなった、俺はもうお終いだ」と
本人を苦しめる場合だってあり得ます。
「認知症=脳の病気」という単純な話ではない。
(分かりやすく説明しようとしているだけなのかもしれないけど。)
反対に、多少の物忘れがあったって、
健康で生きれば、
(どう健康で生きるか、という話はまたの機会にしたいと思います)
あるいは周囲の環境が変わりさえしなければ、
その人はその人らしく、
生活することが可能なのです。