「どうして、そうなるのか?」
私がどんな時にも、考えようとするクセのようなもんです。
追求しすぎて、煙たがられることもありますσ(^_^;)
モスバーガーについても、「どうして、そんなに感動したの?」
と思ってしまいました。
(モスバーガーの感動はこちら
。)
今回は、その仮説です。
人間はありとあらゆるものに「期待値」という値を設定しています。
「期待値」を下回ると不満。
「期待値」を超えると満足。
「期待値」を大幅に超えると、感動が生まれます。
例えば、
私は長男には「算数50点、国語80点」という
テストの期待値を設定したとします。
算数の方が少し苦手だからです。
ある日、長男は「算数60点、国語70点」というテストを持って帰りました。
私はこう言いました。
「算数はよく頑張ったけど、国語はもう少しだったな。」と。
国語の方が算数より点数が高いのに、です。
これは、算数と国語に対する「期待値」が違うからです。
これが「期待値」というものです。
これをモスバーガーに当てはめた場合、
電話代をモスバーガーからもらうことなんて思いもしなかった。
全く「期待値0」だったところに、
あの10円をもらったことで、
つい、思わず感動してしまった、というカラクリなのです。
介護の場面でもありませんか?
「今日のカメノさん、すごいわあ。全部1人で食べちゃったよ。」
普段は、途中で食べるのを止めるカメノさんの
食事に対する「期待値」が低かったせいで、
スタッフの感動を呼んだのです。
普段からガツガツ食べる光太郎さんに
この感動は生まれないでしょう。
ほかにも、あります。
「風船バレー、目の色が違ってたね。」
「紙パンツ、濡れてないわあ。」
「バナナみたいなうんこが出たあ。」
などなど。少したとえが悪かったですね(;^_^A
働いている我々だって、感動を生み出すことは出来ます。
「いつもより明るくあいさつしてみる。」
「いつもより連絡ノートをくわしく書いてみる。」
「いつもより求められている書類を早めに出す。」
「いつもよりちょっと…。」というところがミソです。
ちょっとだけでいいですから、期待されているところを超えてみましょう。
気をつけることは「期待値」はどんどん上がっていく、ということです。
同じ刺激を与えても、人はやがてそれに慣れてしまうのと一緒で、同じ事をやっていても、いつか
「それ、普通のことじゃん。」
と思われてしまうでしょう。
でも、大丈夫。
人が設定する「期待値」をどんどんクリアしてきたあなたは、
それだけ成長しています。
「期待値」を超えるだけの力をあなたは持っているのです。
「できる人」は誰もがそうやって道を歩んできたはずです。