八田さんが辞めて、私も職場を替わりました。
数年経ち、ある程度の決済を任されるような役にもなりました。
ところで、新しいその職場は、職員を採用するときには、
必ず1週間ボランティアをさせる、というやり方をしていました。
そして、その人と一緒に仕事をしていてどう思ったか、
ということを施設長がスタッフに聞くようにしていました。
なぜ、こんなことをするのか、施設長に訊ねたことがあります。
施設長はすかさず言いました。
「だって、一緒に仕事をするのはあなた達でしょ。一緒に仕事をやっていけるかどうか、っていうのはあなた達じゃないと分からないじゃない。」
と、さも当たり前のように言いました。
どの人を採用するかという問題は、私の中ではとても重い役目でした。
ボランティアに来ている人は、誰もがその仕事をしなければならない理由を背負っています。
私が「この人とは一緒に仕事が出来ない。」と言ってしまったら、その人は別の仕事をまた最初から探さなければなりません。
しかも、その間を食いつながなければならない。
しかし、私も「一緒に仕事をしたくない」人と、我慢して仕事するのも辛いことです。
ですから、その人がどんな人なのか、ということを一生懸命知ろうと努力しました。
そして、一緒に仕事をする仲間になった人とはうまく仕事をやっていけるように、と前向きな気持ちになりました。
このことを通じて、一緒に仕事をする人には「愛情」を持って接しなければならない、と思うようになりました。
それも半端な「愛情」ではない。まるで、わが子を愛するような「愛情」です。
例の「目の中に入れても痛くない」という「愛情」です。
だって、そうでも思わないと「人を叱る」なんてこと、できないでしょ。
少なくとも部下を持つ上司レベルの人たちは、そういう気持ちで接することが必要ではないか、と思います。
ただ、単に「愛情」を持つことは難しい。人には、好き嫌いがあるからです。
誰も、仏さんではありませんからね。
そういうとき、私は「縁」を感じるようにしています。
「この人と一緒に仕事をする縁があったのだ。」と思うようにして、
それを「有り難い」と感じるように心がけています。
……心がけていますが、時々それが脱線することもあります(;^_^A