だんだんと難しいことになっているので(^▽^;)
文章が進みませんが(;´▽`A``
ええい、こうなったら、書ききってしまおう!
なにせ、「死ぬことをどう理解するか」なんて
一言では語れないですよね。
ましてや、40過ぎの若造が(!?)
これは私が頭で理解した「死生観」です。
いろいろな書籍を読んでみると、日本人は「この世」と「あの世」の境をわりと曖昧にする風習があるようです。
日本人は「無宗教」だと言われますが、日本人はアニミズム(精霊信仰=自然界にあるすべてのものに神や霊を信じること)が浸透しています。つまり、霊はそこらじゅうにいる。すべてのものに霊が宿っている、という意識があります。
さて、人が亡くなると体から霊は別世界に行って、一定期間を過ぎると、個人の区別がつかなくなり、先祖の霊と一塊に、いわゆる「ご先祖様」になります。
そのご先祖様をお正月とお盆にお迎え、お彼岸にはその年の稲の豊作を祈り、収穫のお礼をします。ご先祖様は子孫の繁栄を見守ってくれています。
日本人の年中行事には、ご先祖様と触れ合うときが年にいくつもあります。
ご先祖様はいつも私たちを見守ってくれている…。
反対に、死んでもご先祖の仲間入りができて、現世の家族を見守ることができる。
自分の父親も亡くなっていますが、亡くなってしばらくの間は、父親の部屋でゴトゴト音がしたり、今でも2歳の娘が父親の部屋に向かってしゃべっているのを見ると、「親父、そこにいるのかなあ。」と思ったりします。
だから日々感謝して生きられるんですね。「お蔭様」です。
「生」と「死」は地続きである…なんていうと、丹○哲郎を思い出してしまいますが、まんざら的外れではないな、と最近思うようになったのです。
個人、個人がそれぞれの考え方があるので、賛否両論あると思いますが、「自分が死ぬ覚悟」「愛しい人が死ぬことを背負う覚悟」はもちたいと思います。
蛇足;
こんなマンガもありました。
水木しげる先生の「墓場鬼太郎」での一説。
ひょんなことからあの世へ行ってしまった金丸代議士とその秘書。
あの世の道先案内人がふっと出てきて、現世へ戻る道を案内します。
そのときの会話。
案内人「人生とは夢のようなものだ。ひとつの幻影に過ぎない。」
秘書「どういうことでしょう。」
案内人「つまり人生とは、一冊のマンガ本のようなものだ。」
秘書「ますます分かりません」
案内人「長い長い静かな闇世の世界が、何万年、何億年と続いていると考えてみろ。その中に一冊の本が落ちている。君たちはそれを読む。それを喜んだり、悲しんだりする。やがて読み終わる。後にはまた静かな黒い世界が何十億年と続く。生きている間というのは、そのマンガを読んでいるわずかな間なのだ。」と。
(TV墓場鬼太郎第8話「怪奇一番勝負」より)
(おわり。)
黒い闇が待っている、というのは怖いですが、生と死が地続き、ということを、私は解釈しました。