職場の友人から一冊の本を紹介されて、今日、読み終えることができました。



たなかかおるさん、という地元で活躍されている童画家、エッセイストの「アトリエの窓から」という本です。



たなかさんは現在は童画家としてご活躍ですが、その前は10年にもわたる闘病生活を経験され、そのことを先の著書の中で紹介しておられます。


そのなかで、ケアマネジャーとして利用者、家族の方から話を聞くときに為になりそうなところをチョイスしてみました。









分かち合う



私を励まそうとして、「でも~~だからいいじゃない」と、代わりになる仮定の話をしてくれる人が多い。

実際、自分でも、何か今の状態をいい方に考えられないものかと、いつも考えている。

ところが、人に自分の苦しさを話す時って、よっぽどの時なのでヘタな慰めなんぞ、気休めにもならないのだ。

自分で乗り超えられる範囲の問題は、人に話す必要がないから話さない。

かえって、いたずらに相手を心配させるだけで、何の解決にもならないからだ。

どうにもこうにも、どうしていいかわからないほどの悩みって、なおさら人に話しても、わけがわからないから、本当はいけないんだけれど、話すと、何となく安心するから、心を許す人にだけ、ちょっと話してみたりする。それって、お互いさまの現象。

だけど、自分の苦しみは、自分しかわからないのが本当の本当なので、そんな悩みの打ち明け話の時に、正しい「答え」が返ってきてほしくないのだ。「答え」って、冷たい。

「ねえ、どうしたらいいと思う?」って聞かれたら、「こうしたらいいと思うよ」って答えられるはずがないのだ。

そんな時は、一緒になって、ウーム、ウームと悩むのが一番、「分かち合う」ってことなんだな、って、痛感している。

一緒になって、本気でウーム、ウームをしているうちに、いつの間にか自分の中で、「あ、そうだ」って、ひらめくのが、答えなんだと思う。

人からそんな正解っぽい事を言われても、「フーン、そうかなあ」って、ガンコに疑っているのが自分というものなんじゃないのかしら。それを「我」っていうんだ。きっと。

答えを出すのが思いやりなんじゃなくて、鏡のように、心を合わすのが思いやりの、本物。







どうですか。



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