臓器移植に関係する親子の立場はさておいて、見方を変えて、制度を決める国の立場から考えてみます。





私がこの記事を見て、はじめに思ったことは「脳死の子どもたちの医療費が必要なし、ということにされる」ということです。




脳死をヒトの死、とすれば、それにかかっている医療費は無駄なものと考えることができます。

脳死をヒトの死、とすれば脳死の人たちの医療費を削る正当性が認められることになります。


また、そのような世論を作ることができる。

今、脳死の子どもたちを世話している親子たちに「無駄なことをしているな。」という圧力をかけることができる。






国を悪者扱いにすれば、このような考え方も成り立つと思います。

果たして、脳死の人たちの医療費がどれくらいか、それをすべて削ることができればどれだけ医療費の負担を減らせるのか、その辺のデータは全くなく、憶測でこの記事を書いています。本当に微々たるものなのかもしれません。が、近年、「医療費を抑制」のベクトルにシフトしている流れを考えれば、このような国の思惑がない、とも言い切れないと思います。


(続く。)