家族をぬくもりのあるものに~ 心の美容室ネロリ
Family’s エスコーター
小林まきです
私が子供に過干渉だったのは
子供に依存があった
からなんですが
自分ではなかなか
気づくことが出来ないんです
何故そうなったのか
ここからは連載して
私の場合をお伝えしていきますね![]()
このブログは同情を誘うために
書いているのではありません
ご自分の振り返りとして
何かの気づきに
して頂ければ嬉しいです(^^)
生まれた時から家族がばらばら
私の育った家族は、
両親と兄2人の5人家族
子供の頃の家族を思い浮かべて
真っ先に思うことは
ばらばらの家族
今思っても、家族の1人ひとりが
遠くにポツン ポツン
と存在しているイメージ
が残っています
父は仕事の関係で
週の3日は不在
空いている日は
友人宅で麻雀の日々
父は外では
楽しそうに笑うのに
家の中では氷みたいな表情
母の
笑った顔も見たことが
ありません。
たまに父が家にいる時は
険しい表情で新聞を読む
父の姿がありました
父が居間にいるだけで
ピリピリとした緊張した
空気が漂っていました
タバコを買いに行く7歳の私
そんな父に、当時の私は
タバコをプレゼントをしていました
強制されたのではなくて
自分からそうしていたんです。
7歳の子供が買いに行くなんて
今では考えられませんよね
まず、売ってくれないでしょう
でも
昭和50年代は子供にも煙草を
売ってくれたんです
当時値段は
ライターとセットで
300円ほど
1ヶ月のお小遣いと
同じ金額でした
「マイルドセブン下さい!」
自転車に乗ってタバコを買いに行き
お店のおばさんに言います
急いで帰宅し
「はい!お父さんプレゼント♡」
そう言って父の横に立つ私
後で分かりましたが
父の喜ぶ顔を待つ私の脚は
ガチガチに緊張していました
父は仏頂面で新聞を読んでいて
私と目も合わさず
新聞を読みながら
黙って手を出して受け取り
そして私は黙って去っていく
このパターンは
繰り返されました
不思議なのは
父との温かい記憶として
残されていたこと
受け取っただけなのに
「喜んでくれた!
私の事を好きになってくれた!」
と自分に都合よく
記憶を歪曲していたんです
なぜ
歪曲してしまったのか
それは
父に喜んでもらえないと
家族の中にいられない
と思い込んでいたからでした
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