翌朝、行きの送迎バスを降りて工場へと歩き出すと、ぽんぽんっと肩を叩かれハッとした。振り返ると美智子さんだった。
おはよう、昨日はありがとうね!
弾んだ声で言われて私はきょとんとした。
え?
ほらあ、かぼちゃ!ありがとうね。
にっこりと笑って彼女はこう付け加えた。
私ね、かぼちゃがだーい好きなの。
えへへぇ。
いたずらっ子のようにはにかんで肩をすくめ、その美人は仲間の一団へと駆け出して行った。
気づけば東海へ来て半年が経っていた。静岡は自然豊かな良いところで、すっかり私は新しい故郷が好きになっていた。慣れない組み立ても、みんなに助けられながら頑張っていたら色んな工程を任されるようになり、だんだん楽しくなってきた。
そんなある日の事だ。美智子さんたちの寮の近くで工場火災があった。老舗町工場の廃棄場が炎と黒煙を上げ数時間にわたり燃え続けた。幸いけが人はなく、延焼もなく済んだ。しかし、もちろん翌朝の送迎バスはその話で持ちきりだった。そのニュースは仕事が始まっても組み立てラインを席巻していた。
それで近くまで行ったらすっごい音と炎で。
美智子さんの斜め前で作業していた女性は家から炎が見えたので現場に駆けつけたのだという。興奮気味に詳細を語り続けていた。
やめな!
美智子さんがたしなめた。
組み立てチームの頭上に掲げられた完成台数表を顎でしゃくり、
台数行ってないんだよ。黙ってやんな。
ジロリと睨んでそのベテラン女性を制した。
あらら、今日は嵐になんじゃない?
向かいの女性が明るくかわしたが、美智子さんは珍しく毒舌を返さない。すぐに作業に戻り手元を見つめている。
程なくするとまたその女性が工場火災の実況中継を始めた。
…その時よ。ボンッて爆発音が、したんよ!
隣の作業者の方へ手を広げてゼスチャーをしてみせた、その時。
火事場見物なんて、あんたバカなん⁉︎
ドスのきいた声が響き渡った。みんながいっせいに顔をあげると、そこには目を吊り上げた、般若のような顔の美智子さんがいた。
あんたね、火事にあって怖い思いやつらい思いしてる人がそこにいるのによくもそんなバカげた真似ができるね。ちょっとは人の気持ち考えんのかね!私は、そんな人間が大嫌いなんだよ!
激昂した美智子さんの勢いに相手の女性はただポカンとして突っ立っていた。そして、美智子さんはこう続けた。
あたしね、小2の時に実家が全焼したの。
話を聞いていた誰もが凍りついた。
ちょうどその時、先程の怒鳴り声に何事かと飛んできたクマゴローさんにリーダーが気づき、
来たっ
と声をかけると私たちはいつものようにさっと模範ラインを演じて見せ、いったん騒ぎは収まった。しばらくして部品の不足で待ち時間となり、美智子さんはぽつぽつと続けた。
寝てる時で。寝巻きに裸足で飛び出して、なんとかみんな命は助かった。だけど、崩れてく家の前で泣いてる私たちの事、面白がって見に来る奴らがいっぱいいて。悔しくて。私絶対あの光景忘れない。
もはやいつものたわいない雑談に花を咲かせる者はいなかった。私たちのセルは水を打ったように静まり返っていた。
ごめん。
火事の見物に行った先輩は悪い人ではなかった。事の重大さに気づき、一言そう言うと頭を下げた。
その姿を眺めて一息つくと、うつむいて美智子さんは続けた。
ふたつ下の弟がいてさ。離れで湿気た花火見つけて火ぃつけて。それが原因だった。
もう誰に話すともなく彼女は唇をかみながら続けた。声は小さく震えてよく聞き取れなくなっていった。
だけどさ、仕方ないよね、まだ5才でさ、男の子なんだから、遊ぶよね、そりゃ。すごい可愛い良い子だったんだよ。…たった一人の大事な弟だったんだよ…
あの子、そんなに悪いことしたのかな…
誰も、大切なご家族に何があったのか聞くことは出来なかった。美智子さんの隣にいた仲良しの先輩がそっと美智子さんの背中に手を回し、トントンと肩を叩いてあげた。
ハッと我に返った美智子さんは顔をあげると私達の顔を見回して慌てて謝った。
ごめん。私、こんな事誰にも…
笑顔を作ろうとしたけど上手くいかず、彼女はエプロンからハンカチを取り出して顔に押し当てた。泣いているのだった。