ウォーキングがてらの買い物途中、ドレッドヘアーの若者がアパートの前にしゃがみ込んだのが見えた。


Creepy Nutsの早口のヒトみたい!


つい好奇心でのぞき込むと、何とヘルメット着用の作業服姿。何やら一生懸命持ち上げようとしていた。


ゴメン、オシゴト中だったのね。


それにしても何だろう、そのすすけた家具。


次の瞬間、私はあっと息を飲んだ。


ここって先日火事があったトコだ。


このお兄さんは、全部生身で事故現場に乗り込んできた勇者なのだった。


最近、痛ましい火事のニュースが多い。胸が苦しくなってしまう方もいらっしゃるだろう。詳細は控える。


火事というと必ず思い出す人がいる。彼女との出会いはかれこれ15年くらい前になる。


必死で頑張っていた英会話教室の仕事は会社の方針で4か月後になくなることに決定した。泣いてばかりはいられない。即就活を始め、学習塾の講師に内定をもらった頃、英会話教室の親御さんたちが私を訪ねてくれた。


大手企業の名前はいりません。先生がご自身で教室を続けてくれませんか?できる限り協力しますから。


生徒さんたちとの別れが辛かった私はありがたくそのお話を受け、学習塾の内定を断り、慣れない塾経営に奔走した。ただし、開講期間は3年のみ、新中一の8人が高校に合格したら閉校する、との条件をご了承頂いた上でスタートした。


塾長も講師も会計も清掃員も全てワンオペで、経費捻出のためバイトを3つ掛け持ちで頑張った私は8人の公立入試が終わるなりナゾの高熱を出し全身が、蕁麻疹で腫れ上がった。…が、幸い1日寝込んだらウソみたいに回復した。


長くなったが、その後私に転機が降ってきた。突然思い立ったのだ。


この自分勝手な私が3年間、必死で人の夢を応援できた。みんなの夢がかなったのだから、今度は自分の夢に賭けてみよう。


私の密かな長年の夢は、英語を活かして翻訳・通訳になる事だった。しかし、通信教育とNHKラジオ講座だけで身につけた「お勉強えいご」がコンプレックスでどうしても踏み出せなかった。帰国子女達の流暢な英語とサバサバした明るい主張に憧れるばかりで、私なんてとどんどん現場から後ずさっている自分を認める勇気すらなかった。


行こう、東海へ!


全力でテープを切り、倒れ込んだ私には迷いなく夢が見えた。


日本で一番英語の需要が多いのは、実は首都圏ではなく東海地方なのだ。日本の経済を牽引するものづくり企業の工場は東海に集中している。


行くなら、東海


こっそり調べていた私は知っていた。


そしてその1か月後、私は静岡県のお茶どころ、掛川市に新幹線で降り立っていた。掛川駅には派遣会社のクルマが待ってくれていた。


ようこそ、静岡へ!よく九州から来て下さいました。さっそく明日から工場見学が始まりますからね。まずは作業服合わせから始まります。すこおし、組み立て体験もできますよ。


30台半ばの感じの良い男性が運転しながら優しく話しかけてくれた。その後、会社が借り上げているワンルームマンションに案内された。


布団一式はありますが、古いですから。近くのホームセンターで購入される方も多いですよ。


3年間の塾経営でスッテンテンになった私にとって、行きの新幹線切符を買ってくれ、行ったその日から住むところと職場を用意してくれる工場ワークは願ってもない夢の架け橋だった。


一生懸命働いて、慣れたら英語を使った仕事を探してみよう。


そうやって飛び込んだ工場で、私は彼女に出会った。