ゴミ出し前のゴミ拾いを継続しようとしたけれど、すでにココロ折れている。
寒すぎて着替えるのすら修行…
いいやコレで。
ゴミ出しもはばかられるいかにも野良着に袖を通し、鏡に映してみる。
やば。
いいか、誰も見てないさ。
しかし、そこでイナズマのようにアタマを掠めた画があった。シャネルスーツに身を包み、真っ赤なルージュを引いた美しい女性が、乱雑に使われた化粧室の洗面台を腕まくりして清掃する姿だ。
その美人は、山咲千里さんという。
実はこれ、私が実際に見た映像ではなく、大学時代の私が山咲さんの著書を読んで思い浮かべた強烈なイメージである。
おそらく山咲さんだと思うのだが、びしょびしょの洗面台を自らキレイにするのだと語っていた。そこまでは私の常識の範疇にあったのだが、衝撃を受けたのはそこからだった。彼女は、
汚れても良い服装でやるよりも、おしゃれに着こなした人が掃除する方がインパクトがあるから。
といった内容のコメントを付け加えていたのだ。
非モテ代表、よれよれのジーンズが制服だった私は、ある日、本屋で平積みにされた本の表紙に釘付けになった。
何だこのキレイな人は!
本当にビックリした。長すぎるだろう!というくらい長くスラリと伸びた脚。完璧にセットされたツヤツヤの外ハネヘアー。黒のピタピタボディコンのミニワンピをまとい、赤いルージュの美女がしっかとこちらを見据えていた。
キレイの魔術
本の表紙にはそう書かれてあって、ダサい小太りの女子大生は、文字通り吸い込まれるようにそのきらびやかな本に手を伸ばした。
内容は、当時珍しかったであろう「美の指南書」であり、バブル期にも関わらず干物と化していた私はハンマーで殴られたような(幸いそのような実体験はございません)ショックを受けた。
私は、女はキレイで在る事が仕事であると信じて疑わない
という全くブレないコンセプトのもと、美しくあるためのメソッドを惜しみなく公開してくれた神書籍だった。その中に登場したのが先の一節である。
当時32、3才くらいで圧倒的な人気を誇っていた山咲さんは、若い子たちにあるべき姿を示すため、あえて率先して掃除するように心がけていたのだろう。しかし、動きやすいカッコでやるより、汚したくないカッコでやる方が周りに影響力を持つのだ=美人最強という太すぎる芯に呆気に取られた。
しかし、それって誰も口にしない正論で、この表紙の圧倒的美人に言われたらさすがに干物女も納得せざるを得なかった。
千里さん、元気かなあ。
もちろんお会いした事もない。馴れ馴れしくて恐縮だ😆だがしかし30年近く、この書籍の根底に流れていた千里イズムは、私の行動規範、というより手の届かない憧れとして度々私の人生に登場していた。私にとって千里さんはすごく意味のある存在なのだ。
バッチリメイクにハイブランドの服、腕まくりで洗面台をこれみよがしに拭きまくる千里さん。なんか彼女の頑張りが伝わってきて、今は憧れが愛おしさに変わってきているのに気づいた。
キレイというより、可愛いひとだったんだな
結局野良着はやめた。くすんだピンクのパンツに花の透かし模様が入ったキレイめの白いセーターを来てお気に入りのZARAのキャメルカラーのロングコートを羽織った。私なりの汚したくないコーデだ。
顔を洗って日焼け止めを塗っただけの顔にも、新しいアイシャドウを試してお出かけメイクにしてみた。
レジ袋とごみばさみを掴んで外に出ると、色んな人から挨拶された。
ん?
これは千里さんのいう、インパクトを与えてるって事なのかなあ。
ゴミを拾って気づいたのだが、なんかキレイな格好してると、掃除が…さらに楽しい。汚れても良い服装の時はなんか、気合いが入りすぎて、私大変な事やってんだ感、誰かをを責めてる感があったかも。
千里さんはもしかすると美を追求するあまり、洗面台を美しくする事が嬉しくてたまらず、それを素敵なファッションで体現したかったのかな。
私の仕事は、キレイである事です。
自分の職務に忠実な千里さんは、心もキレイにしようと、日々奮闘していたのだろう。
きっと、あの日私がたくさん声をかけられたのは、楽しそうにゴミを拾っているので親しみやすかったからだろう。
私の仕事は、いつも楽しそうに、笑顔でいる事です。
こっちの方が、私らしいし現実的かなあ。
旦那さんウケしそうだし。
そうだ、一行コメントを付け加えてみよう。
あなたのためにね。
旦那さん、歓喜まちがいなし😆
千里さん、以前バラエティに出演されてたとか。いつまでも、美しく、可愛い、私の憧れの女性でいてくださいね。何十年経っても、大好きです。人として、あるべき姿を教えてくださって、本当にありがとうございます。その教えは、今も私の支えになっています。