先週末、ユカリさんの1周忌の回顧展が開かれた。彼女はラテンタンゴのダンサーで、そのステージ動画や写真パネルが街のギャラリーに展示されていた。


6才年上のユカリさんは多彩な方で、とてもチャーミングだった。知人の飲食店で初めて見かけた時の衝撃は忘れられない。
海外公演の際に地元で購入したというカシュクール風のワンピースに身を包み、背の高いヒールの靴音高く登場した様に誰もがあんぐりと口を開け目が釘付けになっていた。

なぜ?早すぎるよ。


あれから6年ほど経った。彼女が営むカフェに私は足繁く通い、彼女そのものとも言える、無国籍でありながら知的な空間に安心感を覚えていつまでも粘っていた。


あ。

ダークカラーのジャージ素材のスーツにコンバースを合わせた女性が後ろの扉からすっと滑り込んできた。

ユカリさんのお姉さんだ。

面識もなく、写真も見た事がなかったが確信した。

東京でシンガーとして活躍中のお姉さんがいると聞いていた。

全く色味のない格好をして、真っ黒な髪を一つ結びにしているだけなのにそちらを見ずにはいられない。ユカリさんに負けないオーラが全身から放たれていた。やはり、人に見られる仕事をしている人は違うのだ。

あの。初めまして。ユカリさんにはいつも良くして頂いて。友人です。

あら、よくお越し下さいました。ユカリもきっと喜んでいます。

あの、お姉さんの事よく伺ってました。ユカリさん、お姉さんの自慢ばかり…


あの子ったら。

私が言い終える前に、その美しい女性の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

私より4つも下なのに。順番守んないんだから、もう。

よく知りもしない私に、お姉さんは堰を切ったようにしゃべり始めた。

私がいけないのよ。検査に行けってあれだけ言ったのに。でもここへ飛んできて、引っ張ってでも連れてくべきだった。仕事なんか放り出して私が来るべきだったの。悔しい。本当に。私…私、一生後悔する。


次々と涙が頬を伝う。

本当はそうじゃない。だけどきっと、彼女もそれをわかっていて、でも何かのせいにしないと耐えられないのだろう。それを背負う事でなんとか地面に足をつけようとしているかのようで、言葉が見つからなかった。

ふと空を見上げて、彼女は最後、ポツリと言った。

魂は永遠だとか、フォーエバーだとか、もうそんな言葉いらない。体がないと。ここにいてくれてこその時間が、大事だったのに。きれいごとは聞きたくないの、もう。


それを聞いて、私はハッとした。あの夜の事、お姉さんに伝えるべきか…やはり失礼かな。

結局悩んで話すことに決めた。

ちょうど回顧展の1週間前、私はユカリさんの夢を見たのだ。正確にいうと夢うつつ、の状態で浮かんできた情景だ。

夜中はっと目を覚ますと、ユカリさんが眠り込んでいるご主人のそばにかがみ込んで「ありがとうね」と囁いていた。しみじみと優しい笑顔で見とれていると、ユカリさんは私に向き直ってこう言った。「ねえ、鐡子さん。私鐡子さんには本当にしあわせになってほしいと願ってるの。だから、大切な人と過ごす時間を本当に大事にしてほしいの。こんなに近くにいても、全然違うよ。」


そしてふうっと消えていった。

翌朝起き出した私はその言葉を思い出し、号泣した。ユカリさんは、大好きなご主人に愛を伝えようと懸命に話しかけていたけど、もう届かないし、その顔に触れる事も叶わないのだ。そのもどかしさを、全然違うよ。と言っていたのだろう。50過ぎて初めて結婚した私の事を本当に気にかけてくれていて、渾身のアドバイスを送ってくれたのだろう。

ご不快に思われたかな…と心配で、話し終えた私はちらりとお姉さんの顔を見た。


すると、そこには意外な表情が浮かんでいた。
お姉さんは、目を丸くして驚いていたのだ。

あなたには、妹の声が、聞こえるのね。

今度は少し、私が面くらった。

それ、夢なんかじゃないわよ。間違いない、妹のメッセージね。あの子、そんなしゃべり方するもの。

込み上げてくる涙を必死で抑えた。ユカリさんは、お見通しだったのだ。私は旦那さんが大好きなのに、カッコつけて冷めた態度を取っている事を。限られた時間しか一緒にいられない事を知っていて、別れは突然来る事を知っていてなお、つまらないプライドを優先させている事を。

ねえ、鐡子ちゃん。

お姉さんが両手で私の右手を包んだ。

ねえ、ご主人との時間を本当に、大切に。幸せになって。私からもお願いするわ。それがあの子の願いなのよ。わざわざあなたのところに伝えに…全く、あの子らしいわ。

はい。ユカリさん、私にまでメッセージを届けてくれたんです。


向こうで友人が待っていた。


お会いできて、本当に良かったです。


お辞儀をして行きかけて、私は引き返した。やはり、あの事、納得いかない。


あの。ユカリさんが亡くなったの、お姉さんのせいじゃありません。

急に私がはっきりとものを言ったのでお姉さんはびっくりしたようだった。

私思うんですけど、徳の高い人は、神様が早くこの世を卒業させるんじゃないでしょうか。早く修行を終えて、神様から次の仕事を任されるんじゃないかって。

お姉さんの口元に、少し微笑みが浮かんだ。

そうね…そうね。あの子、愚痴ひとつ言わない、神様みたいなとこがあったもの。

帰り道、私は悩んだ。

そうは言っても、どうすれば大事な人に大事だよってうまく伝えられるんだろう。

翌日、夕食の支度をする頃になっても答えが出なかった。そこへ。

急かすような電話の着信音。

もう!なんで手が離せない瞬間にかけてくるかなあ。


何に悩んでいたかも忘れてつい、いつもの私に戻ってしまう。


はい?

ふてくされて出てしまい、反省。

大事な人と過ごす時間を本当に大切に…

ユカリさんの言葉が響いてくる。

あ、お疲れちゃん!あ、あ…

なんだ?

あ、愛してるわーん。



一瞬間があり、旦那さんは爆笑した。

お、おう!今から帰るよー。

そう、人生は、大切な人と過ごせる時間は短いのだ。

これでいいのだ!