1週間後、愛媛の叔父が会いに来てくれた。なんと言っても、私たちはまだ新婚さんいらっしゃいなのだ。小さい頃から叔父を可愛がっていた母も喜んでやって来た。

レストランで会食をし、叔父は奥さんの里、長崎に向けお嬢さん(私のいとこ)と3人で出発した。旦那さんと私で母を送っていくことになったのだが、旦那さんが車を取りに行き、レストラン入り口まで出してくれるという。その間母と立ち話をしたのだが、ふと気になっていた「あのこと」を聞いてみた。

ねえ、おばあちゃんちの2階にお不動さんが祀ってあったよね?



あー。あの階段のそばの?

うん。あそこなんでいつも閉めてあったん?

母は思いもよらない事を口にした。

さあね。考えた事もない。

え?自分ちでしょ。

なんだか…すごく見たい!って感じじゃないでしょ。そりゃ、ちらっと見えたことはあるけど。それに、あそこはおばあちゃんしか開けないところって決まってた。

やはり。なんだか見ちゃいけない感じというのは間違ってなかった。

そういえば、おばあちゃんは時々謎めいた事を口にしていた。そもそも、おばあちゃんとおじいちゃんのふるさとは、神話の伝説が数多く残るところだった。

兵庫県淡路市南淡町沼島。

沼の島と書いてぬしま、と読む。

古事記にイザナギさまとイザナミさまが国産みをする前にまず混沌とした地上をくるくると長い矛でかき回すシーンがある。その先からぽたりと落ちたしずくが島になり、そこに降り立つというくだりがあるが、諸説ある中でおばあちゃんたちの故郷、沼島がその島とする学者さんは多い。



そのせいだろうか、おばあちゃんの昔話は子供の心を奪う不思議な魅力があった。例えば、おばあちゃんが水汲みに苦労した話。

おばあちゃんたちが小さい頃、島にはまだ水道がなく、山の上のきれいな川に汲みにいかねばならなかったそうだ。険しい山で、登るのも大変だったが、桶いっぱいの水をこぼさず抱えて帰るのは本当に大変だったそうだ。中でも一番大変だったのは、汲み終わったら、家に着くまで一言も口をきいてはならない、という厳しいルールだったという。

なんだか鶴の恩返しの「見るなの禁」ではないが、わからないなりに小さなわたしにもなんとなくそのまま受け止められた昔ばなしだった。

よく読んでいた絵本によって、おそらく禁を破ると幸せが逃げていってしまうルールなのだろう、とおぼろげに理解した。ただおばあちゃんの語り口が少しシリアスで、どうしても無邪気に

それで、しゃべっちゃったらどうなるの?

と聞き出せなかった。

おそらく、お不動さんのお参りも、同じようなルールがあったのではないだろうか。決して、お参りする姿を人に見られてはならぬ、だったり、お参りしてから階段を降りるまでは誰とも口をきいてはならない、だったり…。

祖父母は、20代で故郷を後にし、一旗上げるべく仲間と共に山口県の下関市に移り住んだ。
仲間をまとめあげ船舶会社を作った祖父母は、その後激動の波に呑まれ数奇な運命をたどる。

私が知っているのはそんな二人の晩年の姿だった。