今日は父の日でした。


妻が何を食べたい?と聞いてきたので、迷わずスパイシージャワカレーのビーフと答えました。カレーは次男が亡くなった当日の晩飯のメニューでした。結局、彼とは一緒に食べることの叶わなかったメニュー。今年の3月3日まで我が家の食卓から消えたメニューです。妻の反応は「カレーでいいの?」でした。よかった、トラウマにはなっていなかった!


それで今日の父の日は終了。


長男も三男も父の日を忘れていたようで、特に何もありませんでした。こちらから求めるものでもないですし、自分も父親にそんことはしたこともないので、まあいいのですが。


そんな我が家なのに、2年前の父の日は違ったなぁ。突然次男が祝ってくれて。その時にもらったガンダムは私の一番の宝物。まだ開けられません。



まさかそれから一月も経たずに次男を荼毘に付すなんて、誰が想像できますか?


何もない父の日だったから、ついつい次男の写真を見返してしまい、堪えきれなくて久方ぶりに大泣きしました。


死生観をアップデートして、日々を忙しくして何とか誤魔化していた悲しみや辛さが溢れてしまいました。


こんなこと思っちゃ絶対にダメなんだけど、帰ってきて欲しい。


そんな時、ふとギリシア神話や日本神話にある死者を黄泉の国から連れ出す話を思い出しました。地上に着くまで絶対に振り返ってはいけないよ、というアレです。


アレには死者との思い出を真正面から思い出してはいけないよ、生きる気力がなくなっちゃうよという寓意が込められているのではないだろうか?


大切な人を亡くした先人の生きるための知恵なのではないだろうか?そんな風に私は受け止めました。


最近は思い出すにしても朧げで、時と共に心の痛みが和らいでいくような、薄らいでいくような感覚になっていました。


死者を悼むのはそのくらいがちょうど良いのかも知れません。写真や動画が簡単に残せてしまう現代は、死者との向き合い方に、尚一層の注意が必要なのかもしれません。


いつか、笑顔でこんなこともあったなぁと、懐かしんであの子の写真を眺められる日が来ればいいのですが。


今年の父の日は涙に溺れる日となりました。


次男よ、父は元気だよ。ただ、今だけは泣かせておくれ。