先日の記事で、
時間は、過去、現在、未来が
同時に存在している、
というお話を書きました。
同時に存在していながらも、
少しずつ変化していくように
私たちには感じられています。
1秒前、現在、そして1秒後の世界は、
微妙に異なっていますよね。
ここに異論のある方は、
おそらくいらっしゃらないと思います。
あまりにも微妙な変化なので、
細胞が老化していてもわかりません。
気が付くのは何年か経ってからでしょう(笑)。
仏教にも
「諸行無常」
という言葉があります。
すべてのものは、
一定ではなく常に移り変わっていく、
という意味です。
少しずつ変化していって
一定ではないという
ごく当たり前のことを
言っているようにも思えますが、
果たしてそれだけなのでしょうか?
時間がコマ切れの瞬間の連続だとすると、
この世はアニメショーンのようなものだ
ということもできます。
たとえば、TVの映像も
滑らかに動いているように見えていますが、
実際には1秒間に60コマの画像が
次々と置き換わっています。
この1コマ1コマは、
ひとつの独立した画像です。
隣に来る画像は、
ほとんどの場合、
連続的に見せるため、
ほんのわずかに
異なるものが配置されています。
そのため、連続性があり
動いているように見える
映像になっています。
その一方で、
まったく違うシーンに
場面が転換する時がありますよね。
この時は、隣り合う
コマとコマの間には、
当然ですが、連続性がありません。
場面が転換するのだから
当たり前!?に思えますか?
でも、ここでちょっと考えてみてください。
最初の連続的な動きのあるシーンでも、
コマとコマは独立した
一つ一つの画像である、
ということには変わりありません。
連続的であると感じているのは、
それを見ている私たちです。
屁理屈に聞こえるかもしれませんが、
たまたま連続しているように見えているだけ
と言えなくもありません。
それぞれが独立した画像である、
という点においては、
連続性のあるシーンも
場面が転換するシーンも
まったく同じです。
映画やTVでは、
この独立したコマを編集して
意味のある連続性や
ストーリーが作られます。
それをまとめ上げるのは
プロデューサーだったり、
監督だったりしますよね。
その意味で言うと、
私たちの人生もこれとそっくりです。
どのようなストーリー展開にするのかは、
そのストーリーの監督とも言える
「わたし」が決めています。
そうなんです。
どのようなストーリーにするのかは、
すべて私たちの選択にかかっています。
この「選択する」ということには、
とても深い意味があります。
時間がコマ切れの連続だとすると、
過去はつながっているように感じているだけで
実際はそうでもないかもしれません。
さきほどの場面転換の話を思い出してください。
過去がこうだったから、
これからもこうなるということではないんです。
突然変わることだって十分ありえます。
この話は、ブログでは
説明しきれないところがあるので、
このぐらいにしますが、
どんな未来がやってくるのかは、
いつでも「現在の選択」にかかっています。
私たちは、常に選択をしています。
言い換えると、
「常にどっちの方向に意識を向けているのか。」
と言ってもいいかもしれません。
意識を向けている方向に進んでいくのは、
ごく自然なことですよね。
そして、意識を向ける方向は自分で選べます。
ぜひ行きたい方向に意識を向ける習慣をつけてみてください。