今日はブログでつぶやき
私達はこの世界に体験しに来ている。
だから人の趣味こだわり
閉じ籠っている世界
物事の捉え方の違いについてや
人としての生き方の違いについて
とやかく言う必要はない
それぞれがオンリーワンの宇宙を体験しているのだから
刑務所にいっても
自ら命を絶っても
病気で苦しんでも
またそれに関わった側であっても
その境地に立って
その人にしか味わえない苦しみを
味わったと言うことは凄いこと!
それを変えようとするなんて、裁こうとするなんて
おこがましいこと
人として素晴らしい事をした人は本当に素晴らしい
でも素晴らしい事をできなかった人だっていっぱいいる
どんな人だって人という命の価値や魂の価値は変わらない。
この肉体という乗り物にのって
誰とも被らないキャラクターで
酸いも甘いも体験して
また、出来ないという体験もして
何かを研ぎ澄まして
何かを失う体験もして
人を喜ばせ
人を落胆もさせ
そのそれぞれの体験は
魂や大いなる自己の何かを消化したのかもしれない
またたっぷり極を体験したことによって
次の生の全く新しい極の体験を作ったのかもしれない。
(後悔だらけの人生だったら、次は後悔しない人生を生きる。自分のために生きれなかった人生だったら、次は自分のために生きて幸せを噛み締めるプログラムにする)
人の心に届く!
というのは
その境地の体験を伝える事なんだと思う。
ストリート育ちにはストリート育ちの苦しみと喜びがある
金持ちには金持ちの苦しみと喜びがある
体験のわかち愛は
感謝になり
成仏になる
それは
トークでも
音楽でも
小説でも
ヒーリングでも
助け合いになっていて
先に体験した人に救われて
救われた人がまた誰かを救ってゆきながら
浄化され解脱してゆくようになっているのかもしれない。
ならば全ての体験や経験は尊く、牛に生まれ変わろうが、猫に生まれ変わろうが
生命の経験のデータバンクがあるならばそれは
神が一番欲しいものなのかもしれないな。
ただ様々な現れの中で「人間のあがりの章」へと向かうもの、歩むものも現れてくるのも自然なこと。
人を生きるとは何か
死ぬとは何か
輪廻とは何か
転生とは何か
その目的とは何なのか
気付いて
魂からの欲求として
実行に移してゆく現れもある
好きにすればいい
人から言われてしなければならないものはない
自発的にやりたいからやる!
が本物の現れ
それぞれの今しか出来ない貴重な体験を尊重しながら
また、出会いという
意味を感じながら歩めたら
この世界を体験しに来ている事が奇跡になる。