ミロスを深めてゆくと
段々面白い感覚になってきます。
最近の私の日常
ドラマ撮影のセットの中にいる感覚
ストーリーがあって
セリフがあって
一喜一憂して
泣いたり笑ったり
その時は本気で演じている
本気でやらないと面白い作品にならないからね♪
そしてふとした瞬間に
カメラモニターをチェックをしたり、作家の視点になる
モニターのチェックの時は
綺麗に撮れたかな?とか
今の迫力あったかな?
葛藤が伝わったかな?
とチェックする時、さっきまでの私はいなくて
完全にただの「見る目」になっている。
(その時捕われから開放されている)
また作家の目線になる時はどんな意図で
その章を作ったのかがわかるから
次の展開が見えている
開放を味わうための
窮屈さであったり
地獄を味わうための天国だったり
どっちかを大胆に描くほど
ストーリーにメリハリがついて
面白くなることを知っているから
作家は完全に、人生のシナリオの時間枠を超えた所にいて
私に指令を送っている。
しかし、作家が私である事を一回体験すると
そのシナリオを修正する事ができる。
盲目的にコマを描くのではなくて
全体を知った上で
陽を作り出すための陰を演じているんだとわかったり
求めているものを
シンクロニシティーという形で見せたり
誰かに出会い「感動」という形でまたそのストーリーを展開させてゆく事ができる。
(例えばこの人の生き方に興味があるな~かっこいいな~憧れるな~という出会いを通して
自分が何者なのかをしってゆく)
その作家は凄い
この私に気付いてほしい事を、生身の人間を使って、時には命までかけて、それを気付かせようと
シナリオを作っていたんだ!!と気付いた事があった。
例えば、この私は、自己否定を抑圧して
「私は私の事好きだもの~♪」と生きてきたので
目の前に自己否定を表現するアクターを用意する。
そこで普通ならば、自己否定をしている人にイライラするか、疎遠になってゆくか、心を閉ざすか
しかできなかったのが
隠していた自分自身の姿だったのか!!と、「ジャッジしていた自分の姿」として受け入れた時
その現象は消えて、おまけに全く違うところでプレゼントを受け取るという現象が起きる。
そんな感じで
最近の私の感覚
もっと極端に言ってしまえば
この私だと思っている私は何処にも存在していない
でも何処にも存在している。
そんな不思議な感覚で過ごしています。