「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ書 41:10)
人生には、思いがけない苦難や心が押しつぶされそうな瞬間が訪れます。病気や人間関係の悩み、仕事の困難、将来への不安 —— 目に見える問題だけでなく、自分の中にある弱さや迷いに直面するとき、「自分ひとりでこの状況を乗り越えられるだろうか」と恐れ、足がすくんでしまうことがあります。そんなとき、この御言葉はまっすぐに心に響き、私たちに確かな希望を与えてくれます。
神が「わたしはあなたとともにいる」と宣言されるこの約束は、単に「そばにいる」という距離的な近さを意味するだけではありません。あなたの置かれた状況を完全に知り、感じ、そして共にいてくださるという、深くて確かな臨在の約束です。これを、暗い山道を歩くときの松明に譬えてみましょう。
夜の山道は、先が見えず、足元も不安定で、一歩踏み出すたびに恐れが生まれます。もし松明を持たずに歩けば、小さな凹凸につまずき、闇そのものに怯えて前に進めなくなるでしょう。けれども、松明を手にしていれば、足元が照らされ、進むべき道が少しずつ見えてきます。闇が完全に消えるわけではなくても、「この道を進めば良い」という安心感が生まれ、一歩踏み出す勇気が湧いてきます。神の臨在は、まさにそんな松明のようなものです。苦難という闇が消えないときでも、神が共にいてくださるという事実が、私たちの心を照らし、恐れを和らげ、前に進む力を与えてくださるのです。
また別の譬えとして、荒れ狂う海の中の船を思い浮かべてください。激しい風と波に船が揺れ、今にも沈みそうになるとき、乗組員は絶望的な気持ちになるかもしれません。けれども、船の中に経験豊かで力強い船長がいて、船の構造も海の性質も完全に知り尽くし、舵をしっかりと握っていると知ったらどうでしょう。波の勢いは変わらなくても、「この船長なら安全な港へ導いてくださる」と信じることで、心に平安が生まれます。神は私たちの船長であり、私たちの苦難のすべてを知り、「義の右の手」でしっかりと守り、助け、強めてくださる方です。苦難の波が高くても、神が舵を握っておられる限り、私たちが滅びることは決してないのです。
改革派神学では、神の「摂理」という教理が大切にされます。これは、神が世界と私たちの人生を完全に支配し、すべての出来事をご自身の目的に沿って導いておられるという真理です。苦難の中にあるとき、私たちにはその意味が理解できないことが多いですが、神が共にいてくださり、すべてを良い方向へと導いてくださると信じること —— それが、苦難に立ち向かう根本的な力になります。
イザヤ書 41 章 10 節では、「強め、助け、守る」と三つの御業が記されています。神は、私たちが自分の力では立てないときに強め、困難に押しつぶされそうなときに助け、敵や危険から守ってくださいます。これらはどれも、「ひとりではない」という臨在から生まれる恵みです。
もし今、あなたが心配や恐れの中にあるなら、この御言葉を思い出してください。苦難がなくなることを約束されているわけではないかもしれません。けれども、苦難の中で共にいてくださる方がおられること、そしてその方があなたを決して見捨てず、最後まで守り導いてくださること—— これが、何よりも大きな希望です。
暗い道でも松明を掲げ、荒れる海でも船長に信頼して、今日も一歩、神と共に歩んでいきましょう。あなたには、共にいてくださる神がいるのですから。


