しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1:8 新改訳2017)

 

1. 弟子たちの「勘違い」から始まる

復活したイエス様を目の前にして、弟子たちが最後に聞いた質問はこれでした。

 

「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか?」 (1:6)

 

要するに「今度こそ、私たちが勝つ番ですか?」という質問です。
ローマ帝国を倒して、強い国を作る。彼らの頭の中は、まだそのことでいっぱいでした。

 

イエス様は、その夢を否定もしませんが、肯定もしません。ただこう言います。

 

「あなたがたが知る必要はない。そして、あなたがたは行け。」

 

私たちも同じかもしれません。
「いつ問題は解決するのか」「いつ教会は大きくなるのか」「いつ私は報われるのか」
神様への質問が、いつの間にか自分の成功への期待になっている。

 

そんな私たちに、イエス様は視点をひっくり返す言葉をくださいます。それが1章8節です。

 

2. 「力」は、何のために与えられるのか?

「あなたがたは力を受けます」

ここが改革派神学がとても大切にするポイントです。

 

この「力」は、超能力ではありません。病気が必ず治るとか、ビジネスが必ず成功するとか、カリスマ的になれる力でもありません。

 

聖書が言う「力」とは、「証人になるための力」です。

 

私たちはよく順番を間違えます。
「力が与えられたら、証人になろう」
「もっと聖書を学んだら、もっと自信がついたら、もっと準備ができたら、伝道しよう」

 

でも聖書の順番は逆です。
聖霊が臨む。だから力がある。だから今いる場所で、証人になってしまう。
力が目的ではなく、証人になることが目的なのです。

 

そしてこの力は、私たちの頑張りから出ません。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき」とあります。完全に神様の側からの、一方的な贈り物です。これが恵みです。これが改革派が言う「神の主権」です。

 

伝道は、私が神様を助けるプロジェクトではない。神様が私を用いて、ご自分の計画を進めてくださるプロジェクトなのです。だから、弱い私でも大丈夫なのです。

 

3. 同心円の宣教地図 - あなたの「エルサレム」はどこ?

イエス様は、とても具体的な宣教の地図を描かれました。

 

エルサレム → ユダヤとサマリヤ → 地の果て

 

まるで石を投げた時の波紋のように、同心円で広がっていきます。

 

これは、単なる地理の話ではありません。私たち一人ひとりの人生の地図です。

 

あなたのエルサレムはどこですか?

エルサレムは、弟子たちが今立っている場所。つまり、あなたの家、職場、学校、家族です。

 

あなたのユダヤとサマリヤはどこですか?
ユダヤは、同じ文化の仲間。サマリヤは、当時のユダヤ人が「できれば関わりたくない」と思っていた人たち。つまり、少し苦手な隣人、考え方が違う同僚、疎遠になっている親戚かもしれません。

 

あなたの地の果ては?
会ったこともない人、海外、日本の福音がまだ届いていない場所です。

 

神様は「まずエルサレムを完璧にしてから、地の果てへ行け」とは言いませんでした。すべてが同時に、です。
家で証人であり、職場で証人であり、そして世界のために祈る証人である。

 

壮大すぎて動けなくなるのではなく、目の前の一人に誠実になることから、神様の世界宣教は始まります。

 

4. 証人とは、弁護士ではない

最後に、大切な言葉の定義です。

 

イエス様は「わたしの宣伝マンとなれ」とは言いませんでした。「わたしの証人となれ」と言いました。

 

宣伝マンは、商品を良く見せるのが仕事です。でも証人は違います。
証人は、「自分が見たこと、聞いたこと、経験したことを、そのまま話す人」です。

 

私たちは、イエス様を論破して信じさせる必要はありません。イエス様が私をどう罪から救い、どう日々支えてくださっているか。その事実を、正直に話すだけでいいのです。

 

うまく話せなくてもいい。聖霊が、その言葉に力を与えてくださいます。
結果は私たちの責任ではない。人の心を開くのは、聖霊のご計画だからです。

 

今日、あなたのエルサレムで、小さな証人として立ってみませんか?

 

今日の一歩
誰かに親切にする前に、心の中でこう祈ってみましょう。
「聖霊様、今日、私をあなたの証人として使ってください。力はあなたから来ます」