初臨のイエスは
当時のイスラエルの人たちが思い描く
メシアのイメージとはほど遠い
しもべの姿で来られました。
当時の人々が思い描くメシア像は
内には腐敗した既得権者を粛正し、
外には周辺超大国を駆逐して
ユダヤの旧領土を再興する
ダビデのような
覇王の姿だったのです。
しかし、世俗の腐敗した者への
力による報復は
新たなる紛争の種を
まくことになりかねません。
なのでイエスは力によらず
全ての者に徹底的に仕えることで
あらゆる罪を飲み込まれたのです。
そして十字架で全ての人間の罪を
一人で背負って犠牲となられました。
神との和解が成立するには
罪の代償である
死が要求されるからです。
イエスの代償の十字架が
自分のためのものだったと
信じて告白する者は
誰でも救われるのです。
しかし、これは
イエスが再臨されるまでの話です。
イエスが今度来られる時は、
約2千年前にイスラエルの人たちが
期待した、あの覇王の姿です。
今度は、しもべの姿ではないのです。
この姿を見る人は、
裁かれる人たちです。
イエスを主として信じなかたので
罪があるからです。
今なら間に合います。
イエスを救い主として信じましょう。
神が御子を世に遣わされたのは、
世をさばくためではなく、
御子によって
世が救われるためである。
(ヨハネ3:17 新改訳)

