キリスト・イエスのように
命を捨てる覚悟で
隣人に仕える事を愛という。
その愛でもって
互いに仕え合えと
イエスは教えられた。
その教え(福音)通りに
私たちは無私の愛で
仕え合っているのだろうか?
少なくとも
そうしたくても
出来ない事には気付くべきだろう。
そしてその弱さを
神に告白して憐れみを
請い願ってこそ
キリスト者といえるのではないか?
神は弱さのうちに
働いてくださるお方だから、
命懸けで隣人に仕える事の出来ない
自分の弱さを神に告白するならば、
その弱さのうちに働いてくださって
愛する力を与えてくださるだろう。
愛は天賦のもの。
その事を思い出そう。
互いに愛し合うべきである
ということは、
あなたがたが初めに
聞いている教えです。
(第一ヨハネ3:11 新改訳)
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