神を愛するキリスト者は

 

神の似姿として造られた

 

隣人をも愛するのが筋だ。

 

だが、昔から変わらないのは

 

神への愛は語りながらも

 

隣人は目に入らない。

 

しかし、少数のキリスト者が

 

隣人を愛してくれたおかげで

 

教会は保たれた。

 

イエスはパリサイ人のパン種に

 

気を付けるようにとお語りになった。

 

そのパン種は偽善だと。

 

偽善と訳されたギリシャ語の

 

υποκρισίς(ヒュポクリシス)は

 

元々は演じる・演技するから派生して

 

偽善、猫かぶりなどの意に転用された。

 

神の子イエスの目には

 

パリサイ派の律法学者は

 

善人を演じているようにしか

 

見えていなかったのだ。

 

福音書にパリサイ派の者たちが

 

執拗に登場するのは

 

教会もやがてパリサイ派と同じように

 

教条主義に傾倒する事に対する

 

戒めと見るべきであろう。

 

さて、あなたは如何であろうか?

 

神を愛しておられるなら

 

隣人も愛しておられる事だろう。

 

 

 

 

 

 

私たちは愛しています。

 

神がまず私たちを

 

愛してくださったからです。

神を愛すると言いながら

 

兄弟を憎んでいるなら、

 

その人は偽り者です。

 

目に見える兄弟を

 

愛していない者に、

 

目に見えないか神を

 

愛することはできません。

神を愛する者は、

 

兄弟をも愛すべきです。

 

私たちはこの命令を

 

キリストから受けています。

 

(第一ヨハネ4:19-21 新改訳)

 

 

 

 

 

↑献金・寄付はこちらへ。

 

皆様のご支援に

 

心から感謝いたします。