マタイの福音書の末尾に

 

大宣教命令と呼ばれている

 

イエスの宣教に関する奨励が

 

記録されている。

 

キリスト者であれば

 

知らない人はいないだろうが、

 

その字面に縛られるあまり

 

人々に改宗を強要してきたのでは

 

なかろうかと思う。

 

そもそもイエスの贖いにより

 

罪の赦しを得て義と認められて

 

神との関係が回復する必要が

 

なぜあるのかを知らずして

 

イエスを信じる事など出来ない。

 

先ずは罪とは何かを教えるのでなく

 

交わりを通して共感していただく事が

 

大切だと思う。

 

罪は私たちの弱さ。

 

その弱さを認めた時に

 

誰だって神の助けが必要となる。

 

いたずらに改宗をせまるのでなく

 

弱さゆえの苦しみから

 

自由になるために何が必要なのかを

 

生きた見本となってキリスト者が

 

見せればこそ

 

人々は信仰の必要性に

 

気付くのではなかろうか?

 

力づくの改宗運動は戦闘的となり

 

実際に戦争へと発展していった事は

 

歴史が証明している。

 

相手に改宗をせまるのでなく、

 

弱さを隠して背伸びなどする

 

必要のない事を知っていただく事が

 

先決だと思われる。

 

恩着せがましい宣教や

 

強圧的な方法による布教は

 

むしろ神の栄光を毀損する

 

行いだという事を

 

私たちキリスト者は心に

 

刻むべきだろう。

 

 

 

 

 

それゆえ、

 

あなたがたは行って、

 

あらゆる国の人々を

 

弟子としなさい。

 

そして、父、子、聖霊の

 

御名によって

 

バプテスマを授け...

 

(マタイ28:19 新改訳)

 

 

 

 

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