牧師は救い主ではない。

 

だから神との間の仲介者ではない。

 

では牧師とは何か?

 

救いのみことばを証しする者。

 

信仰は神が与えてくださり、

 

救いのみことばが

 

救われる者へ届くように

 

キリスト者をはじめとして

 

被造物を用いて導かれる。

 

かくして、救いへと導かれた者は

 

福音を信じるのだが、

 

その福音をさらに理解するために

 

解説者が必要となる。

 

その解説者が牧師なわけだ。

 

解説者がウソを教えると

 

大変なことになる。

 

だから信徒の皆様は、

 

牧師が福音の真理をそのまま

 

伝えることが出来るように

 

心身共に、また、霊的、物理的に

 

護られるように祈りと支援を

 

怠らないように留意すべきである。

 

教会が立ち行かないから

 

牧師が貧困に苦しむのではない。

 

牧師が貧困に苦しむから

 

生活のために仕事に追われるから

 

信徒と向き合うことが出来ないから

 

教会が疲弊していくのだ。

 

昨今、霊的な成長が滞ている

 

原因の一つはここにある。

 

牧師なんだから命懸けでやれと

 

罵詈雑言を投げかける者がいる。

 

言われなくてもまともな牧師は

 

最初から命懸けである。

 

世俗的に言えば

 

一番、採算の合わない

 

しかもストレスフルな業務だ。

 

しかし、牧師であるがゆえに

 

業務でなく奉仕として

 

させていただいているのだ。

 

その牧師の信徒に対する配慮に

 

安住しすぎるから

 

信徒もみことばの消化吸収ができず、

 

成長できていないのだ。

 

今の時代でもしっかりとした教会は

 

牧師を支え、

 

牧師は信徒に仕えるという

 

まともな関係が成立している。

 

だから教会も用いられている。

 

教会で世俗的な

 

会社更生法じみた方法で

 

教会の奉仕のリストラを図るなどの

 

馬鹿な真似はすべきでない。

 

頭がイエスであることを

 

忘れていなければ

 

こんな事は出来ないはずだ。

 

このブログをお読みの方が

 

キリスト者であれば、

 

心からお願いしたい。

 

あなたの教会の牧師をしっかりと

 

お支えしてください。

 

それがあなたを霊的成長のために

 

不可欠な要素の一つであることを

 

覚えておいてください。

 

また、もし敢えてお支えする事を

 

拒否するのであれば、

 

その教会へと導かれた主の摂理に

 

抗う事になる事も併せて

 

覚えておきましょう。

 

 

 

 

 

 

神は唯一です。

 

また、神と人との間の仲介者も

 

唯一であって、

 

それは人としての

 

キリスト・イエスです。

 

(第一テモテ2:5 新改訳)

 

 

 

 

 

↑もし召しがあれば、

 

献金・寄付はこちらへお願いします。

 

先ずはあなたの教会の牧師を

 

しっかりとお支えください。