新約聖書の中で一番古いものは

 

テサロニケ人への手紙だと

 

伝えられています。

 

まだ比較的若い頃にパウロが書いた

 

ものだということになります。

 

歳のせいもあってか

 

テサロニケ人への手紙は

 

若々しさを感じる

 

ストレートな表現が目立ちますが、

 

それ故にエッセンスとなる部分を

 

理解しやすいという特徴もあります。

 

さて、テサロニケ人への手紙第一では

 

再臨を待つのは良いが、

 

だからといって仕事を放棄するのは

 

お門違いだという事、

 

悔い改めることなく

 

罪の赦しにあやかろうとするのは

 

間違いである事、

 

福音を知らずに亡くなった者のために

 

悲嘆にくれるキリスト者への慰めなどが

 

根底にあって書かれています。

 

これらの問題に対して

 

若かりし日のパウロが

 

解説を加えた後に、

 

5章でキリスト者として

 

いかに生活するかを

 

箇条書きにしています。

 

その一つが今日の本文です。

 

パウロは言います。

 

「絶えず祈りなさい。」と。

 

祈りが霊的呼吸であり、

 

神との、つまり、みことばとの

 

交わりを意味する事を知っていれば、

 

なるほどと頷けると思います。

 

意外と絶えず祈らず、

 

時々、祈るキリスト者が

 

多いように思います。

 

時々、祈るから

 

霊的に窒息するのです。

 

いつもみことばを生きる者であれ!

 

それが若かりし日のパウロの教えであり、

 

今も神がみことばを通して

 

私たちに求めておられる

 

生き方なのであります。

 

 

 

 

絶えず祈りなさい。

 

(第一テサロニケ5:17 新改訳)

 

 

 

 

 

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