イエスは言い切った。

 

キリスト者も

 

この世で生きている限り

 

必ず患難に遭遇すると。

 

しかし、それを恐れるなと

 

イエスは言われたのだ。

 

理由は、イエスが

 

この世の王と呼ばれる

 

サタンの力を

 

完全に調伏したからだ。

 

イエスが勝利されたので

 

イエスと共に歩むキリスト者も

 

勝利は確定しているのだ。

 

だから安かれとイエスは言う。

 

このセオリーはキリスト者であれば

 

知らぬ者はいないだろう。

 

しかし、実際は患難に出くわし

 

右往左往するのが私たち弱い人間だ。

 

なぜそうなるのか?

 

信仰が足りないからというのは

 

容易い事だが、

 

事はそう単純ではない。

 

だが、キリスト者であるのに

 

危機に直面した時に、

 

頼るべき存在が

 

神(みことば)でなく

 

この世の存在である場合は

 

注意が必要だろう。

 

往々にしてキリスト者も

 

この過ちを犯しやすい。

 

危機に直面して心が動顛して

 

神に助けを求めないから

 

この世の知恵に頼ってしまう。

 

しかし、残念ながら

 

この世の人や物は

 

他人であるあなたに

 

そこまで深い関心がない。

 

あくまで他人なのだ。

 

すると万策が尽きたと思い込み

 

失望が絶望へと変わっていくのだ。

 

神を頼る、

 

つまり、みことばを頼れば、

 

今現在、自分がどのような状態に

 

置かれているのかに気付かされる。

 

つまり自分の現住所を

 

俯瞰できるわけだ。

 

するとそこから

 

どのように抜け出せばよいのかが

 

見えてくる。

 

抜け出す方法が分れば、

 

出来る事から全力でやればよい。

 

自力で無理なところは

 

心配せずとも良い。

 

正にそこにお働きになるお方が

 

ほかでもない神なのだから。

 

私たちが抱く恐れの正体は、

 

自分の状態が分からない事による

 

不安感なのだ。

 

この状態では脳が機能せず、

 

情報がショートして

 

悩みが堂々巡りする。

 

だから遂には病んでしまう。

 

神に頼るとは

 

問題を丸投げする事ではない。

 

絶対他者の神のみことばという鏡に

 

自分を写し出して自分を見つめて

 

我に返る事こそ神を頼る事なのだ。

 

神の似姿として創造された

 

あなたは、みことばに向き合った時に

 

神の創造的力を回復するのである。

 

 

 

 

わたしがこれらのことを

 

あなたがたに話したのは、

 

あなたがたがわたしにあって

 

平安を持つためです。

 

あなたがたは、

 

世にあっては患難があります。

 

しかし、勇敢でありなさい。

 

わたしはすでに

 

世に勝ったのです。

 

(ヨハネ16:33 新改訳)

 

 

 

 

 

 

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