キリスト者は

 

神の御心の啓示された

 

聖書のみことばを生きる

 

福音行者です。

 

ですが、この世で生きている以上

 

少なからず世の影響を受けます。

 

みことばに沿わない

 

生き方になっていないか

 

確認する必要があります。

 

方法は難しくありません。

 

聖書を読むことです。

 

聖書を読むと

 

はっとさせられる個所が

 

必ず出てきます。

 

そこが疎かになっている部分です。

 

そのことに気付かせていただいたら

 

神の前に悔い改めて

 

同じ過ちを来る返さないように

 

実践することが大切です。

 

この作業を怠ると

 

罪を罪とも思わなくなり、

 

神からの豊かな報いを

 

受け取れなくなってしまいます。

 

カルヴァン派をはじめとして

 

保守的傾向のある教派では

 

救いは失われないとの解釈をします。

 

それは神の主権、

 

つまり神が救いを与えてくださるとの

 

立場を取っているので

 

神の選びに間違いはない事の強調と

 

神が選んでくださったのに

 

恐れ多くもその選びに抗う事は

 

出来ないはずだから、

 

選ばれたキリスト者は感謝して

 

粛々とみことばを生きて

 

しかるべきではないかとの

 

意味なのです。

 

ここを誤解して、

 

救われたんだから

 

何したってOKだと思っている

 

なんちゃってクリスチャンが

 

意外と多くいるようです。

 

これは論外です。

 

このキリスト教版の本願ぼこりは

 

本当に厄介の存在なのですが、

 

誤解のないように

 

気を付けていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

よく気をつけて、

 

私たちの労苦の実を

 

だいなしにすることなく、

 

豊かな報いを受けるように

 

なりなさい。

 

(第二ヨハネ1:8 新改訳)

 

 

 

 

 

 

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