キリストの模範に従う者が

 

それがキリスト者。

 

であれば、キリスト者である

 

私たちもキリストのように

 

命懸けで仕える者であるべきだ。

 

命懸けでお互いに仕える社会。

 

そんな社会が存在するなら

 

どれほど素晴らしい事か!

 

しかし、そんな社会が

 

存在したことはない。

 

それほどに人間は

 

罪にまみれているのだ。

 

故に、キリスト・イエスの贖いが

 

絶対に必要でもあるのだ。

 

しかし、キリスト者は

 

そんな社会の創造を

 

希求し続けなければならない。

 

それが主から委ねられた使命だからだ。

 

先ずは教会が

 

そのようであるべきだろう。

 

教会内で派閥争いをするなど

 

もってのほかだ。

 

悔い改めが必要なのは

 

キリスト者からなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

人の子が来たのも、

 

仕えられるためではなく、

 

かえって仕えるためであり、

 

また、多くの人たちのための、

 

贖いの代価として、

 

自分のいのちを

 

与えるためなのです。

 

(マルコ10:45 新改訳)

 

 

 

 

 

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