神に見張られているとの

 

意識を忘れなければ、

 

私たちは、もう少し

 

行動に慎重さが伴うでしょう。

 

しかし、現実は忘れがちですね。

 

ストレートに言うなれば、

 

忘れたいと

 

思っているのかもしれません。

 

神から恵みは受け取りたいが、

 

欲の暴走に歯止めをかけてくださる

 

神の慈しみ深さに対しては

 

感謝よりも鬱陶しさを覚える人の方が

 

多いように思います。

 

救いをいただいたキリスト者であっても

 

この体たらくなのですから、

 

人が自力で救われることは

 

本当に難しい事だと思わされます。

 

そんな私たちを憐れんで

 

神はキリスト・イエスを

 

送ってくださったのです。

 

究極の自己中である私たちを

 

そのまま救いとるために

 

私たちの全ての罪咎を一身に背負って

 

代わりに十字架で死んでくださったのです。

 

その有難さを思い出せば、

 

私たちが欲望に翻弄される事がないように

 

みことばを通して干渉してくださる事を

 

鬱陶しいとは思わないはずです。

 

神は私たちを完全に救うために

 

親が子を愛するように

 

片時も目を離さず、

 

私たちを見守ってくださっているのです。

 

その事を忘れずに

 

みことばを喜ぶ私たちでありましょう。

 

 

 

 

主の御目はどこにでもあり、

 

悪人と善人とを見張っている。

 

(箴言15:3 新改訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑神が見張ってくださっているのは

 

私たちにとっては有難い事です。

 

いつも神のご加護の下に

 

あるという事だからです。

 

感謝な事です。