自らの信仰を誰かに伝えるのは

 

意外と難しい事です。

 

伝えているつもりが

 

余計なお節介になってしまったり、

 

キリスト教の教義の押し売りになったりと

 

逆効果になってしまう事が

 

多々あります。

 

冷静になって考えてみると、

 

上に挙げた二つのパターンに

 

自分の経験が含まれていません。

 

キリスト・イエスと出会って、

 

自分がどのように感じて、

 

どのように変わったのか、

 

そして、信仰を生きる事で、

 

どのような生活上の変化があったのかなど、

 

自分の話がありません。

 

伝道は、牧師から聞いた話を

 

オウムのように繰り返す必要もないし、

 

教義を相手に押し付ける必要もありません。

 

いやむしろ、そんなことをしてはなりません。

 

あなたがどうであったのか、

 

それが大切なのです。

 

キリスト教の伝道は折伏ではありません。

 

そこを間違えると

 

小さな宗教戦争を起こすことになります。

 

それに、あなたはその人の人生の

 

全責任を負えないのですから、

 

余計な事はしない事です。

 

キリストに出会った体験談を語る事、

 

教会ではそれを証(あかし)と言いますが、

 

それをお話しするだけで十分です。

 

ですから、友人から突然、

 

信仰生活の事を聞かれた時に、

 

その信仰体験談をサラっと伝えられるように

 

準備をしておくことが大切です。

 

相手に信仰を持ってもらおうと

 

不必要に話を盛る必要もありません。

 

信仰へと導かれるのは神です。

 

私たちはその道具に過ぎない事を覚え、

 

自分の体験をお伝えする事に

 

専念致しましょう。

 

聖書にある使徒たちの布教活動も

 

イエスとの出会いと教えられたことを

 

語っているだけであることを

 

思い出してくださいね。

 

 

 

 

あなたがたのうちにある

 

希望について説明を求める人には、

 

だれにでもいつでも

 

弁明できる用意をしていなさい。

 

(第一ペテロ3:15b 新改訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

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↑信仰生活は

 

キリストとの出会いの連続です。

 

その経験の数々が証となります。

 

今日はどんな出会いがあるでしょう。

 

ワクワクしますね。