信仰を賜わったその時を起点に

 

それ以前とそれ以後を

 

明確に区分する事をお勧めします。

 

多くのキリスト者が

 

いわゆる救いの確信を

 

得ることが出来ずに

 

苦悩しているようです。

 

自分の信仰姿勢に問題があるのではと

 

不必要な疑いを持ってしまって、

 

やたらに聖書を読みまくったり、

 

讃美に明け暮れたり、

 

祈祷三昧に入ったりと

 

心の平安を得たいがために

 

無理して行に没頭している姿を

 

よく見かけます。

 

しかし、そのような行によって

 

心の平安を得ることは難しいでしょう。

 

なぜなら、仮に瞬間的に

 

心の安らぎを得たとしても

 

少し時間が経過したら

 

また心がざわつき始めるからです。

 

心の平安は、

 

主に完全に委ね切ることで

 

得られるものです。

 

それが信仰です。

 

ですから信仰を賜わったのであれば

 

それ以前の古い自分は死んだと

 

考えるべきです。

 

心がざわついたとしても

 

もう自分はイエスの十字架の贖いによって

 

罪が赦されて救われたのだから

 

神のご加護によって

 

たちどころに平安を

 

取り戻すことが出来ると確信を持って

 

前に前進すればよいのです。

 

信仰は前進がメインです。

 

過去を振り返るのでなく

 

約束された御国に召されるその日まで

 

今に全力投球するのです。

 

キリスト者の心には三位一体の神の

 

位格の一つである御霊が

 

宿ってくださっています。

 

キリスト者は一人ではないのです。

 

神といつも共にいる存在なのです。

 

であれば過去を振り返って

 

立ち止まらず、

 

とにかく前進し続けることが大切です。

 

あなたの事を誰より御存知の神が

 

必ずあなたを導き助けてくださいます。

 

安心して今を精一杯に生きましょう。

 

 

 

 

私はキリストとともに

 

十字架につけられました。

 

もはや私が生きているのではなく、

 

キリストが私のうちに

 

生きておられるのです。

 

いま私が肉にあって生きているのは、

 

私を愛し私のために

 

ご自身をお捨てになった

 

神の御子を信じる

 

信仰によっているのです。

 

(ガラテヤ2:20 新改訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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↑自分の信仰の在り方に

 

疑問を持つことも

 

あるかもしれません。

 

そんな時、

 

一人で問題を抱え込まず、

 

信仰の友と分かち合い

 

共に祈ることが大切です。

 

信仰生活は

 

一人で送るものではなのです。

 

あなたも是非、

 

教会へお越しください。