キリスト者は
神の創造の御業を
この世に顕す道具としても
用いられるのです。
誤解のないように敢えて言えば、
神との協働となります。
神は全能なる方ですから
何でもお出来になる方です。
しかし、ダイレクトに
御業を行なわれるのでなく、
神の似姿として創り出し、
被造物の管理を委ねた人を通して
御業を顕すことを喜ばれるのです。
それ故に、罪の赦しを得て義とされた
キリスト者の生活を通して
御業を顕されるのです。
神は私たちキリスト者が
みことばを生きる事を
喜ぶようように導かれます。
そしてみことばを生きる事で
世の光・地の塩として
神の御業を輝かす器となるのです。
神は、みこころのままに、
あなたがたのうちに働いて
志を立てさせ、
事を行わせてくださるのです。
(ピリピ2:13 新改訳)
↑今日は、バックナンバーです。
↑神の創造の御業を
顕す道具として
みことばを生きる者が
仕え合い、祈り合って
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