みことばが受肉して来られた方が

 

主イエスなわけですが、

 

ヨハネの福音書の1章に書かれているとおり、

 

神はみことばであるわけですから、

 

人となられたという事は、

 

神が神としての権能を大きく制限して

 

被造物である私たちと変わらぬスペックで

 

活動されたという事なのです。

 

これは驚くべきことです。

 

イエスは三位一体の一格である

 

神自身なのですから

 

神としての力を使えば

 

反対分子の排除など

 

容易い事だったはずです。

 

しかし、そのような力を使われたことは

 

ありませんでした。

 

イエスは徹底的に仕える姿勢で

 

私たちと接してくださいました。

 

そしてその姿を通して

 

神の愛を見せてくだったのです。

 

私たちキリスト者は

 

イエスのそのような姿に

 

倣わなければなりません。

 

聖書的には自己主張ををしたり

 

我を通さない事を柔和と表現し

 

キリスト者の大切な徳目として

 

挙げていますが、

 

このイエスの生き様に従うならば、

 

自ずと柔和にならざるを得ません。

 

今日、自己主張の強い、

 

ストレートに言ってしまえば

 

他人様を平気で裁くキリスト者が

 

多くなりましたが、

 

そのような生き方を主が喜ばれるかを

 

主の生き様と比べて

 

判断してみるべきでしょう。

 

 

 

 

 

ご自分を無にして、

 

仕える者の姿をとり、

 

人間と同じようになられました。

 

(ピリピ2:7 新改訳)

 

 

 

 

 

 

 

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