イエス様は神の子でしたので

 

罪のない方でしたが、

 

私たちの代償となるために

 

罪人として十字架で殺されました。

 

罪なき方ですから

 

洗礼など必要ないのに

 

バプテスマのヨハネのもとへおいでになり、

 

洗礼を求めました。

 

バプテスマのヨハネも

 

洗礼が不必要なのを知っているので、

 

最初は拒否しましたが、

 

イエス様は受洗は御父の

 

御心であることをヨハネに伝えて

 

洗礼を受けられました。

 

イエス様がお受けになった洗礼は

 

事実上、罪の贖いのために

 

罪を背負わされて荒野へ放たれて

 

野垂れ死にする贖いの犠牲を

 

意味しています。

 

旧約時代にイスラエルの罪の代償として

 

雄牛を二頭に罪をなすりつけて、

 

一頭は荒野に放ち、

 

もう一頭は全焼のいけにえとしました。

 

イエス様がバプテスマのヨハネから

 

受けられた洗礼は、

 

この罪をなすりつけて野に放たれる

 

儀式だったのです。

 

それ故に、洗礼を受けられたイエス様が

 

その後、40日間、荒野で

 

試練に遭われた話が

 

福音書に記録されているのです。

 

さて、先ほど申し上げた通り

 

この罪の贖いのために

 

荒野で野垂れ死にする犠牲と共に、

 

罪の贖いのために

 

全焼のいけにえされる犠牲があります。

 

こちらはイエス様の十字架での死と

 

対応しています。

 

罪の贖いには

 

血が流されないといけないのです。

 

イエス様は私たちの身代わりとなって

 

十字架で血を流されたのでした。

 

このイエス様が完全ないけにえとなって

 

くださった事により、

 

旧約時代のいけにえは

 

必要なくなったのです。

 

この二つの贖いのいけにえの

 

象徴としてイエス様は預言的として

 

水と御霊のよる贖いなしに

 

神の国には入れないと

 

ニコデモに語られたのでした。

 

 

 

 

 

 

イエスは答えられた。

 

「まことに、まことに、あなたに告げます。

 

人は、水と御霊によって生まれなければ、

 

神の国に入ることができません。

 

(ヨハネ3:5 新改訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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