みことばが受肉された方が

 

イエス様なのですが、

 

イエス様は福音をお語りになりながら

 

自らそのみことばを実践なさいました。

 

愛について説かれたイエス様は、

 

その愛を実践されて

 

私たちのために命を捨てられました。

 

このイエス様の代償の十字架を

 

自分の罪の代償であると信じる者は

 

その罪が赦されて義とされます。

 

義とは神との関係が

 

正常化した状態です。

 

福音には神の義、

 

つまり私たちとの

 

関係の改善を望まれる

 

神の強い願いが啓示されているのです。

 

この神の願いが成就するように

 

神は私たちに信仰を与えてくださり

 

更に私たちの信仰を深めて

 

神との深い交わりへと導かれるのです。

 

その全てを神が主権的に

 

行われていることに注目すべきです。

 

これは救いが

 

神から与えられたことを意味します。

 

私たちの行いの代価として

 

与えられたのではなく、

 

神からの賜物だということです。

 

 

 

 

私は福音を恥とは思いません。

 

福音は、ユダヤ人をはじめ

 

ギリシヤ人にも、

 

信じるすべての人にとって、

 

救いを得させる神の力です。

なぜなら、福音のうちには

 

神の義が啓示されていて、

 

その義は、信仰に始まり

 

信仰に進ませるからです。

 

「義人は信仰によって生きる」と

 

書いてあるとおりです。

 

(ローマ1:16-17 新改訳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑献金・寄付はこちらへ。

 

皆様のご支援を

 

心から感謝いたします。