人から評価されるのを嫌う割には
評価されないと不安になる私たち。
祈りだって誰もいないところで
静かに神に向かってすれば良いのに
敬虔な人だと言われたいのか
わざわざ人前で祈っりします。
これでは何のための祈りなのか
わからなくなってしまいそうです。
祈りは神の声を聴く時間です。
神の私たちに向けての
飽くなき救済の呼びかけを
聞く時間が祈りの時間です。
一人で祈ろうが、
複数で祈ろうが
実は関係は無いのです。
もちろんそれは神の声が
聞けるのであればの話ですが...。
神の「大丈夫だよ。絶対に見捨てないよ!」
との救いのことばを聞いて確信する者には
神は必ず報いてくださいます。
「あなたは、祈るときには
自分の奥まった部屋に入りなさい。
そして、戸をしめて、
隠れた所におられる
あなたの父に祈りなさい。
そうすれば、
隠れた所で見ておられるあなたの父が、
あなたに報いてくださいます。」
(マタイ6:6 新改訳)