独立してからというもの、平日と休日という概念を完全に失っております。亀谷です。誰にも管理されていないので、仕事の予定がある日が仕事で、仕事以外の予定のある日が休日です。

 

 

さて、何やら最近叩かれることが多い広告業界ですが、今週も電通さんの過労死の事件が話題になっていました。

 

「死んでしまいたい」過労自殺した電通の新入社員 悲痛な叫び

【過労死】電通で自殺した女社員のTwitter流出www内容が凄まじい件www(画像あり)

 

もともと電通グループ内にいたので、状況は容易に想像できますが、事前に周りが助けてあげられなかったのかなぁと悲しく思います。私も一度倒れている身としては心が痛いです。謹んでお悔やみ申し上げます。

 

ということもあり、本日は労働時間について考えてみます。

 

そもそも広告業界自体、空気を売っているような業界なので、労働時間は長いです。メディアという分かりやすい枠を売っているときは楽な部分もありますが、そんな作業はどんどん少なくなり、対応しなければいけない幅も広がり続けています。

 

私も大昔は月400時間とか当たり前で、がっつり働いていました。(いや、最近までか・・・?)それによって体調を崩したこともあります。作った資料を投げられたり、飲み会で芸やらされたり、眼鏡壊されたりいっぱいありました。

 

ただ、自分で選んで広告業界に残っています。

 

最近、世の中は労働基準法に定められた労働時間内で働くというべきだという流れが強いようですが、私も経営者の端くれとして、自分の会社では、もっと自由に働ける環境を作れないかと日々悩んでいます。

 

契約のときに握るのは、どんな仕事をしたいかだけで、あとは自由。それでもみんなちゃんと仕事をするから売上が上がっていくような会社にしたい。そんな理想論をつい考えてしまいます。

 

そもそも仕事とは、仕事を全うすることが目標であり、労働時間には何の意味もありません。結局は意識の問題なのです。

 

残念ながら、与えられた仕事を終了させる時間は、経験の差など個々人によって違います。早く終わらせられるひとは早く終わらせればいいし、終わらないひとは終わるまでやる。そのもしその差を“早く”埋めたければ、一定期間は人よりも時間を割いて働くしかありません。

 

あとは人によって仕事のできる量はそれぞれだと理解し、お互いに助け合えば、ひとりだけどん底まで長時間労働にはならない気がするんですけど、人を信じすぎですか?

 

過労死対策としては、エリートとノン・エリートを明確にわけ、労働市場を流動化すべし

 

という記事もありました。

 

エリートとノン・エリートなんて分け方するから、なんかちょっと癇に障るひとが出てくるんだとおもうんですが、結局選べるようにしたら良いってことですよね?これで個人的には良いと思いますけど、どうなんでしょうか?

 

はこも来年は人を雇用しようと思っていますので、リアルな問題としてこの問題の答えに関しては引き続き悩んでみたいと思います。

 

自分自身、働けども働けども満足できる状態にならないというのに。本当に悩ましい。では、今週はこちらで失礼いたします。皆さま良い週末を!